フエ郊外の帝廟巡り③最悪の帝が国民を苦しめ作ったカイディン帝廟

こんにちわ。わらびです。

グエン朝王宮を観光した翌日は、フエ郊外にある三つの帝廟、トゥドゥック帝廟ミンマン帝廟、カイディン帝廟へと出かけます。

最後となるのはカイディン帝廟。

国民の生活を圧迫してまで作ったため、非常に豪華な造りと、他の帝廟には見られないヨーロッパの様式を取り入れた奇抜なデザインが見どころです。

カイディン帝廟

カイディン帝廟」はグエン朝第12代カイディン帝のために作られた霊廟。他のグエン朝の帝廟とは異なり、ヨーロッパとアジアの建築要素が混在しています。

バロック様式などフランスの影響を受けた彫刻やデザインが特徴的で、カイディン帝がフランス文化に影響を受けていたことを示しています。

1920年に中国様式で建設が開始されましたが、1922年にマルセイユ博覧会を訪れたカイディン帝が、そこで見た建築物に感銘を受けたため、途中からバロック様式を取り入れた造りに切り替わりました。

豪華な帝廟を作るには多額の資金が必要だったので増税まで行いましたが、当然国民からの反発は大きく、カイディン帝の評価を大きく下げる一因となっています。

世界遺産「フエの建造物群」の構成資産

カイディン帝の治世

カイディン帝(在位1916~1926年)は、グエン朝第12代皇帝。在位中はフランス植民地支配が強化された時期と重なり、歴代の中では最もフランスに傾倒し、国民を苦しめた最悪の帝ともされます。

カイディン帝の治世では、グエン朝の弱体化とフランス植民地統治の強化という大きな変化が起きました。彼自身、フランスに対し反乱を企て廃位された先代のズイタン帝に代わり、フランスに擁立され帝位に就いたので実質的な権力はフランスに握られていました。

2代ミンマン帝の時代に始まった官僚登用制度も、反仏勢力を生みかねないという理由から廃止。中国の影響力を削ぐため、言語を長らく使われていた漢字からクオック・グォー、ラテン文字のアルファベットを使用した現在のベトナム語へと切り替わりました。

一応、グエン朝の威信回復のためいくつかの法令を制定したものの、もはや優秀な人材を確保することもできない状態では、大規模な改革を行うことはできませんでした。

フランスの植民地支配に対して協力することで帝位を保っていましたが、ベトナムの独立を犠牲にし、国民を苦しめてでも支援を受けようとする姿勢は、フランスの傀儡と非難されました。

1925年にカイディン帝は病気で亡くなり、彼の息子であるバオ・ダイが後を継ぎました。バオ・ダイもまたフランスとの協力関係を続け、最終的にグエン朝は1945年のベトナム革命によって崩壊しました。

入場料

カイディン帝廟の入場料は150,000VND=900円。

複数の施設に入場できるコンボチケットもあるので、カイディン帝廟以外にも観光したいという人はそちらの方がおすすめ。

コンボチケットの料金

コンボチケットは全部で4種類あり、入場できる施設が異なります。

有効期間は購入日を含め2日間なので、初日はグエン朝王宮を、2日目はバイクやタクシーを借りてカイディン帝廟を含む郊外の廟をまとめて回るというのが効率的。

グエン朝王宮トゥドゥック帝廟カイディン帝廟ミンマン帝廟料金
チケット①×420,000VND
チケット②×420,000VND
チケット③×420,000VND
チケット④530,000VND

グエン朝王宮の入場料は200,000VND、三か所の廟はそれぞれ150,000VNDなので、①~③は80,000VND、④は120,000VNDの割引になります。

カイディン帝廟の見どころ

カイディン帝廟は、山の斜面に作られているのでそこまで面積は広くなく、主な見どころも最奥部の宮殿くらい。しかし、国民の生活を圧迫してまで作られただけあってか、かなり派手でインパクトは抜群です。

三重門

廟の入口にある大きな門は、まず目を引くポイントです。中国やベトナムの伝統建築に見られる典型的な三重門ですが、装飾は西洋の要素が取り入れられており、伝統とモダンが調和しています。

門を抜けると、カイディン帝の霊廟への長い階段が広がります。

正門を抜けると127段の急な階段があり、階段の両脇には巨大な石のドラゴンが彫られています。これらのドラゴンの彫刻はベトナム王朝の伝統的な象徴であり、カイディン帝の威厳と神聖さ表現しているらしいです。

とても褒められた人物ではないみたいですけど。

帝を守護する石像

階段を上りきると、広場にはカイディン帝を守護する石像群があります。

これらは皇帝に仕える武官や文官、馬などを表しており、それぞれが威厳のある姿勢で並んでいます。

碑文

当然帝廟なので、帝の功績を称えるための碑文が置かれています。

しかし、カイディン帝は歴代の中でもすこぶる評判が悪い人物なので、この文を考えた後世の人も気を使い、当たり障りのないことしか書いていないでしょう。

就任当初は衰退していくグエン朝を盛り返そうと努力をしていましたが、1922年の渡仏以降は親仏思想に染まり、フランスの傀儡皇帝として国民の反感を買い苦しめました。

啓成殿

廟の最も重要な部分である「啓成殿」。

フランス文化に傾倒したカイディン帝は、自身の帝廟だけでなく、グエン朝王宮の改築にもバロック様式を取り入れました。

中にはカイディン帝の大理石の棺が安置されています。玉座の上にはカイディン帝の等身大のブロンズ像と、天井には9匹の龍が描かれ、天国を象徴するようなデザインが広がっています。

帝廟は敷地こそ広くはありませんが、他には見られないような豪華絢爛な建築、細かい彫刻やモザイク装飾が施され、カイディン帝はこの宮殿を作るために増税を行い国民から猛反発を受けました。

ちなみに、カイディン帝が亡くなったのは1925年。帝廟が完成したのは彼の死から6年後の1931年でした。彼は、国民から反発を受けてまでも、情熱を注いだ帝廟の完成を待つことなくこの世を去りました。

おわり

他の帝廟と比較しても、圧倒的に豪華で派手なカイディン帝廟。その煌びやかな見た目の陰には、増税により虐げられた国民たちの苦しみが隠されているのです。

単純に観光する分には、フエ郊外の帝廟の中では一番見応えのある場所だとは思います。

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