仏陀が出家を決意した「四門出遊」ゆかりの地カピラバストゥ

こんにちわ。わらびです。

ルンビニ近郊には、仏陀が生まれ育った「カピラバストゥ」という場所があります。

カピバラみたいな名前のこの場所は、仏陀が出家を決意した「四門出遊」というエピソードゆかりの地です。

あまり足を運ぶ観光客は多くありませんが、人生に悩んでいた私は仏陀のように出家を決意するべく訪れてきました。

仏陀が育った「カピラバストゥ」

カピラバストゥ」は、古代インドの都市であり、仏陀が29歳まで過ごした場所で、釈迦族(シャカ族)の王国の首都でした。

ここは仏陀が、生きることには常に苦しみが伴う、生老病苦を知り出家を決意するエピソード「四門出遊」の起きた場所とされています……が、厳密には長い歴史の中で記録が消失してしまいカピラバストゥの正確な位置はまだ判明していません。

ネパール側のティラウコットかインドのピプラハワという説があり、両国が自分側の領土にあると主張している状態。一応、ネパール側にあるティラウコットがカピラバストゥで正解という説が有力なんだそう。

四門出遊のエピソード

カピラバストゥには、「四門出遊(しもんしゅつゆう)」という、仏陀が出家するきっかけとなったエピソードがあります。

仏陀は生誕後、シャーキャ族の首都であり、シッダールタの父であるスッドーダナ王の統治する領地「カピラバストゥ(カピラ城)」で何不自由なく育てられました。

父親のスッドーダナ王は、仙人に仏陀の将来を占ってもらったところ、将来は偉大な王になるか出家して悟りを開くことになると結果が出たので、出家を防ぐために王宮の中で外界の苦しみとは隔絶し贅沢な生活させました。

しかし、仏陀が29歳の時。彼は外の世界に興味を抱き城の外へ出ることを決意します。

そして城の東西南北それぞれの門の前で四つの光景に遭遇するのです。

東門で初めて老人を見た仏陀は老いる恐怖を。

南門では初めて病人を見て病の恐怖を。

北門では初めて死人を見て死の恐怖を知り、最後に北門では苦しみから解脱しようとする修行僧を見て、自らも出家することを決意したとされています。

アクセス方法

ルンビニからカピラバストゥまでは25kmほど。ローカルバスでアクセスが可能。

バスの乗り場は無いので、カピラバストゥ方面を続く幹線道路まで出て通るバスを止め、行き先を確認してから乗り込みましょう。

バスの料金は100円くらいでした。

バスの終点からカピラバストゥまでは4km。

リキシャを捕まえるなり歩いて行くなりしてください。

私は歩いて行きました。

カピラバストゥ観光

カピラバストゥは現在、ただの広い公園内にかつて存在した都市の基礎部分が残っているのみ。

公園内はまだ未発掘の箇所が多いのか、専用の通路の上を歩かなければなりません。

正直、四門出遊のエピソードを知らな限りは来たところで、大して面白いところではないと思われます。

私は仏教にあまり関心のない不信人な仏教徒ですが、何故かこの四門出遊のエピソードだけが印象に残っています。

後は仏陀が牛のおしっこを飲んだり牛糞を体に塗りたくった苦行エピソード。

公園内の通路の続く先にはカピラバストゥの東門が残っていました。

ここが四門出遊のエピソードで仏陀が初めて城の外に出て老人を見たとされる場所。

周囲には中国人らしき観光客が一杯。

彼らは誰もかれもそこそこの年齢を重ねた方々。

思いがけず、仏陀と同じく老人を見ることとなってしまいました。

ここが仏陀が城外に出た3カ所目の西門。

ここで初めて死人を目撃したとされています。

老人が多くいた東門と違って、さすがにエピソード通りに死人は転がっていませんでした。

もしここがインドだったら、そこらへんに生きているのか死んでいるのか分からない人が転がっているんですがね。

代わりといっては何ですけど、老人が座り込んでいました。

そのほか南門と北門に関してはまだ発掘されていないのか見ることは叶わず。

こちら側まで足を運ぶ観光客はあまり多くありませんが、仏陀ゆかりの地だけあり信者たちが集い何やかんやしてました。

おわり

仏陀が出家を決意した四門出遊の地カピラバストゥ。

私もこの地に足を運び俗世の迷いを断ち切って出家を決意しましたが、帰り道冷静に考え直してみたら面倒になったのでやっぱりやめておきました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です