こんにちわ。わらびです。
スラウェシ島の山岳地帯に暮らすトラジャ族。
彼らを有名たらしめているのは、その独自の死生観と盛大な葬儀儀式のランブソロなんですが、トラジャ族の面白い部分はこれらに収まりません。
今回は、タナトラジャでは印象的な景観を形成する、トラジャ族の伝統家屋「トンコナン」と、主要なトンコナンの観光スポットについても紹介していきます。
タナトラジャへのアクセス方法
↳マカッサルからタナトラジャへの行き方【バスの出発場所、チケット料金、所要時間】
トラジャ族の葬儀
↳水牛を生贄に捧げ故人を送り出す。トラジャ族の衝撃的な葬儀「ランブソロ」
タナトラジャの観光スポット
洞窟墳墓タンパン・アロ / 岩窟墓レモ / 貴族の墓ボリ / ロンボク洞窟
もくじ
トラジャ族の伝統建築トンコナン

タナトラジャを歩くと目につくのが、船のような形をした高床式の変わった建造物。
ここは周囲を山に囲まれ海から遠く離れた山奥の中。もちろん海とは最もかけ離れた立地である。
その不便な立地から長らく外部との接触は絶たれ、外との交流が始まったのは20世紀に入ってから。
そんなところに何故船が?
と、思うことだろう。私もそう思った次第である。
これは、「トンコナン」というトラジャ族の伝統的な住居で、とりわけ貴族など身分の高い人間の住まいとして使われてきました。
船の形をしているのは、トラジャ族の先祖が北から海を渡ってきたという伝承に由来し、彼らのルーツを示しています。
そのため、海を渡った時に使われた船を模し、入り口は来た方角を示すべく北を向いて作られているんだそう。
トラジャ族の先祖たちは、中国南部のトンキン湾沿岸から渡ってきたとされています。
船とはトラジャ族にとっての一種のシンボルで、例えば、葬儀のランブソロでは、遺体の入った棺を船の形をした神輿に乗せて運び、キリスト教化以前では棺そのものが船の形をしていました。


トラジャ族にとって「船」とは、自分たちのルーツや故郷の方角を示し、死後魂を運んでいく存在でもあるのです。
トンコナンの内部

トンコナンの内部はいくつかのブロックに分かれ、家長の居場所や先祖の魂を祀るスペース、一般の生活スペース、客間などに分かれているらしい。
狭いものの、人の生活していた家なのでキッチンも存在する。

ただでさえ、居住場所が高くなっている高床式。さらにその中でも他のスペースよりも一段高くなっている所があり、そこは家長の寝所や先祖の魂を祀る場所らしい。
インドネシア各地に伝わるアニミズム信仰には、先祖の魂は天に近い場所、つまりは高い場所に祀るという考えがあり、トラジャ族にはこのアニミズム信仰も交じっているそうだ。
これと同じアニミズム信仰は、例えば、バリ島のタマンアユン寺院、スンバ島のワインガプの伝統集落にも見て取れます。
生贄に捧げた牛の角

トンコナンの正面にはこのように、水牛の角が飾られています。
これらは、トラジャ族の伝統葬儀ランブソロで生贄に捧げられた牛のもの。
トラジャ族にとって水牛とは死者を天界へと運ぶ動物。現在、トラジャ族の使用している棺は普通の箱型ですが、昔は船型の棺に牛の彫刻が象られていました。

ランブソロでは多額の資金がかかり、裕福な人ほど多くの牛を生贄に捧げます。
つまり、トンコナンに飾られている牛の角の数を見ればその家の裕福さ、権力みたいなものが分かるのです。
もしかしたら、昔の人たちはこれでマウントを取っていたのかもしれませんね。
少なくとも私であればそうしていたはず。

角だけでなく下顎の骨も飾られています。

自分たちの先祖やルーツを表すものなので、木製の彫刻も。
牛。トラジャ族にとってとにかく重要なものらしい。
トンコナンの現在
当たり前といえば当たり前だが、古い時代から伝わるトンコナンは高床式の木造建築。
今となっては単純に不便なので住居として使われているのは少数。基本的にトンコナンの裏やすぐ近くに普通の家を建てそこに住んでいるのが大半。

今も使われているトンコナンは、一階部分も居住スペースに改装されていたりする。

また、従来の伝統的なトンコナンは、屋根畑の茅葺き屋根で作られているが、現行式のトンコナンは生産も管理も容易なトタンで作られている。
従来の伝統を踏襲しつつも、時代に合わせバージョンアップしているようです。
トンコナンの観光地化

トラジャ族のルーツを表すトンコナン。
タナトラジャの観光スポットへ行くと、このように船形家屋が向かい合った印象的な光景が広がっていますが、実はこれ伝統的な配置とかではなく観光地化されて整備されたもの。
もとはこのように整然と家屋が並んではいなかったらしく、インドネシア独立後、政府の観光政策の一環として、トンコナンとその正面に「アラン」と呼ばれる建物が並び向き合うように配置され、現在のように印象的な姿へとなったそうです。
実用性が無いので、もはやトンコナンに住むという人は少なくなり、観光資源としての価値が強くなった。
じゃあもうトンコナンは必要なくなったかというと実はそうでもないんですって。

タナトラジャではこのように建築中のトンコナンをちょいちょい見かけます。
確かに住居としての実用性はなくなったとしても、トラジャ族のルーツを示すシンボルとして、新たなトンコナンが建てられ続けているのです。

また、一般家屋や教会の屋根にも船の形が取り入れられるなど、多少形式は変われども、しっかりとその伝統は受け継がれているようです。
トンコナンに限ったことではないが、現在のトラジャ族を取り巻く環境というのは、観光地化により昔とは大きく変わっているらしい。
昔とは変わってしまった姿を見て、これを失われた伝統だ何だと嘆く人もいるらしいが、何たる言語道断。
トラジャ族に限ったことではないが、従来、伝統というものは時代に即し柔軟に変化してきたものなのである。
ごく一部、一時代の一面だけ、自分が見たものをそれに関する全てだと決めつける。
理想を押し付け変化を認めない。
何かを知ったつもりになってその実無知という、愚かで悍ましい。
知っての通り、トンコナンはシンプルに不便なので現在使われているものはあまりない。
当然、本来であれば廃れて無くなっていたであろう文化。
だがしかし、タナトラジャが観光地として着目されたことをきっかけに、それが自分たちの生活の一助となるのであればと、残し続けシンボルとして残り観光資源となる。
観光地化が進んだおかげで本来失われていたかもしれない伝統文化がいくつもあるはずだ。
当たり前だが、変化とは悪いことではないのです。
穀物庫「アラン」

タナトラジャにあるもう一つの船型の建造物「アラン」。
こちらは、穀物庫としての役割があり、トンコナンと違い未だ実用性があるので現役稼働中。
まあ要は庫である。
多くの観光客が勘違いしているかもしれないが、現在タナトラジャで見かける船形の建物は、数的に圧倒的にこちらの方が多く、その実そこらで見かけるのはアランだったりもする。
いかんせん見た目がそっくりなので、観光客には、どちらがトンコナンとアランなのか分からないのである。
心なしかトンコナンと比較すると小さいのだが非常に分かりにくい。素人が見分けるには少々難易度が高い。
簡単な見分け方としては、入り口に水牛の角や牛の彫刻が飾られている方がトンコナン。それが無ければアランということになる。

またアランは、住居ではないので階段が無く柱も4本の支柱のみとなっている。
皆様方に置かれましても、時として、トンコナンとアランの見分けがつかなくなるということがあるかと思われますが、そんな時は落ち着いてシンボルの牛や支柱の数を数えてみてほしい。
タナトラジャの有名なトンコナン
さあて、ここでタナトラジャで有名なトンコナンの観光スポットをいくつか紹介していくとしよう。
ケテケス


タナトラジャの滞在拠点となるランテパオのすぐ近くにあり、ほぼすべての観光客が訪れるであろう有名な観光スポットこそがこの「ケテケス|Kete Kesu」。
昔ながらの竹の茅葺き屋根がしっかりと残され、有名どころだけあって、ここのトンコナンは内部の見学も可能となっています。
パラワ

「パラワ|Palawa」の伝統集落。
10棟以上のトンコナンが立ち並ぶ光景は圧巻で、その規模はケテケスの倍ほどにもなります。
トンコナンとアランが大量に並ぶ光景は、まるで造船所のようにも見えてきます。まあ造船所ってどんなところか分からないのですけど。
ランテパオからは離れているということもあり、ここまで足を運ぶ観光客は少なめ。落ち着いて見学ができるタナトラジャ観光の穴場スポット。
タナトラジャ観光では、ガイドによって行く場所は変わってくるので、ここへは訪れない可能性もあります。行きたいという方はガイドに案内をお願いしましょう。
船型家屋の密集集落

さあこちら、名もなき集落です。
名前はきっとあるはずだと思いますが分からないだけです。
ここは、別に観光スポットでも何でもありませんが、山の斜面に船形の建造物が密集している様子は非常に印象的。おそらく、タナトラジャでは最も伝統家屋の密集しているエリアなのではないでしょうか?
貴族の墓ボリからロンボク洞窟へ至る道の途中にあるので、そちらまで訪れた際は、是非立ち寄ってみよう。
おわり
タナトラジャのあちこちで見かけるトンコナンとアラン。
どこへ行っても船だらけの面白い景観のおかげで、そこらを歩くだけで刺激的な経験となるでしょう。
そして、よくよく考えたらこの船の形は、自分たちのルーツを示しているものなので気候などに適している訳でもなく、その実、フォルムには何も合理的な理由もないというのがこれまた面白い。
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