フエ郊外の帝廟巡り①詩人皇帝が遺した美しき庭園トゥドゥック帝廟

こんにちわ、わらびです。

グエン朝王宮を観光した翌日は、フエ郊外にある三つの帝廟、トゥドゥック帝廟、カイディン帝廟、ミンマン帝廟へと出かけます。

歩くには遠すぎるものの、わざわざバイクを借りる距離でもないため、自転車をレンタルすることに。

まあこれは、熱波到来中だったので普通に後悔しましたけど。

この記事の情報は2024年3月時点のものになります。

トゥドゥック帝廟

トゥドゥック帝廟」は、フエ郊外にある霊廟で、グエン朝第4代トゥドゥック帝のために建てられました。

この帝廟は、生前からトゥドゥック帝が自らの別荘として使用していたため、単なる墓所にとどまらず、彼の居住地や静養の場所としても機能していました。

また、トゥドゥック帝は非常に文化的な帝であり、詩や文学、哲学思想を愛していました。霊廟の設計には自らも携わり、自然との調和がとれた庭園と壮麗な建築には、豊かな精神性が反映されています。

彼はここで詩を作り、フランスとの緊張が高まる中で自らの心を落ち着けていたと言われています。

世界遺産「フエの建造物群」の構成資産

トゥドゥック帝の治世

トゥドゥック帝(在位1847~1883年)は、グエン朝4代目の帝で、歴代最長となる35年という在位期間を持ちます。

彼の評価は複雑であり、特にフランスに対する外交的失敗が強調されることもあります。一方で、文化的な貢献や内政における試みは、後世においても一定の評価を受けています。ベトナムの伝統文化を守りつつ、困難な状況で国を支えようとした皇帝であり、その努力と葛藤は自らの墓に刻ませた碑文からも見て取ることができます。

トゥドゥック帝の在位中は、ベトナムにとって非常に重要な時代。平穏とは程遠い、グエン朝の歴史の中では最も困難な時代に、国内外の問題へ対処しなければなりませんでした。

彼の治世における最大の課題はフランスからの侵略。

在位期間の初期には、フランスはすでに東南アジアに進出し、経済的と軍事的な影響力を強めていました。

1858年、フランスは宣教師の殺害を理由に、ベトナム南部のコーチシナ地方に軍事侵攻を開始し、1862年にはフランスとの間で不利なサイゴン条約が結ばれました。この条約により、ベトナム南部の領土がフランスに割譲され、ここを足掛かりに植民地支配を本格化していきます。

この領土喪失は、ベトナムの独立が徐々に失われていく契機となりました。トゥドゥック帝はフランスとの対立を避けるため、外交交渉を試みるも力の差が明確であったため効果的な対応策を打つことができませんでした。

晩年はフランスに対する無力感や内政の混乱に苦しみ健康状態も悪化、1883年に亡くなりました。そして、彼の死の翌年、1884年にフランスはベトナム全土を植民地化しました。

入場料

トゥドゥック帝廟の入場料は150,000VND=900円。

複数の施設に入場できるコンボチケットもあるので、トゥドゥック帝廟以外にも観光したいという人はそちらの方がおすすめ。

コンボチケットの料金

コンボチケットは全部で4種類あり、入場できる施設が異なります。

有効期間は購入日を含め2日間なので、初日はグエン朝王宮を、2日目はバイクやタクシーを借りてトゥドゥック帝廟を含む郊外の廟をまとめて回るというのが効率的。

グエン朝王宮トゥドゥック帝廟カイディン帝廟ミンマン帝廟料金
チケット①×420,000VND
チケット②×420,000VND
チケット③×420,000VND
チケット④530,000VND

グエン朝王宮の入場料は200,000VND、三か所の廟はそれぞれ150,000VNDなので、①~③は80,000VND、④は120,000VNDの割引になります。

トゥドゥック帝廟の見どころ

ホアキエム殿

ホアキエム殿」は、トゥドゥック帝が生前に使用していた建物で、彼の生活や執務が行われていた場所です。この建物は、豪華な装飾など華やかさはなく、彼の控えめな性格が反映された落ち着いたデザインが特徴です。

帝が治世に対して抱いていた思索や、日常生活を垣間見ることができるエリア。

ホアキエム殿は帝の別荘でありながら全体的に質素。

トゥドゥック帝の在位中は、フランスからの圧力が強く、常に危機にさらされていたという時代。まさか国難に陥っているのに豪華な宮殿を建てるわけにもいかないし、彼の性格からしても質素の空間の方を好んだのでしょう。

それでもこの宮殿を建てるにあたり、多額の資金が投じられたそうですが。

ルーキエム池

ルーキエム池」は、帝廟の中心にある大きな池で、周囲の風景と見事に調和した静かな景観が魅力です。

私が訪れた時期には何もありませんでしたが、夏になると蓮の花が咲き乱れ、違う光景が広がります。

池の一角に建てられた東屋は、トゥドゥック帝が詩を詠んだり、落ち着いて静かな時間を過ごすための場所でした。また、この池に小舟を浮かべ釣りを楽しんだともされています。

池は周囲に水路のように伸び、そこに架かる橋や周囲の木々と共に、庭園の魅力をより一層高めています。

トゥドゥック帝は、詩や文学を愛し、ベトナム文化の保護に努めました。彼の守ろうとしたベトナム伝統の光景が今もここに残されているのです。

帝の陵墓

敷地内には、トゥドゥック帝の妻レティエンアン、養子で7代皇帝のキエンフックの陵墓もあり、トゥドゥック帝廟という名前の通り、帝もこの廟に埋葬されているはずなのですが…、

実は、ここには埋葬されていないとされています。

本来であればこの帝廟に埋葬されるはずでしたが、墓荒らしに遭うのを危惧した親族が、秘密裏に埋葬したため、いまだ正式な埋葬場所は不明。

謝罪の碑文

廟の一角には、トゥドゥック帝が自ら書いた「謝罪の碑文」が刻まれています。これは、自分の治世における失敗について深く後悔し、次の世代に対して謙虚なメッセージを残したもので5,000文字にも及びます。

当時のフランスとベトナムの力の差は歴然。

周辺国を見てわかるように、どの道ベトナムの植民地化は免れなかったとは思いますが、運悪くほぼ全てが自分の在位期間中に起きてしまった。

避けることのできない出来事だったとしても、自らの過ちを認め、続く世代が同じ過ちを繰り返さないようにする。トゥドゥック帝のこの謙虚な姿勢を、世界中の政治家たちに見習ってほしいものである。

おわり

王宮に比べると派手さはないものの、周囲の自然と調和した荘厳な美しさが魅力的なトゥドゥック帝廟。

本人の謙虚な姿勢と、帝でありながら過ちを認め後世のための教訓とするその精神性には感服するほかありません。

私も後世に何かメッセージを残したいいところですが、せいぜい熱波が来ているときは、自転車なんかで出かけちゃダメということくらいですかね?

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