こんにちわ。わらびです。
グエン朝王宮を観光した翌日は、フエ郊外にある三つの帝廟、トゥドゥック帝廟、ミンマン帝廟、カイディン帝廟へと出かけます。
トゥドゥック帝廟に次いでやってきたのがミンマン帝廟。
自転車をレンタルしてやって来ましたが、意外と距離があるので、おとなしくバイクをレンタルしておくべきだったと後悔。
ミンマン帝廟
「ミンマン帝廟」は、グエン朝第2代ミンマン帝のために作られた墓所。
フエ郊外にあるトゥドゥック帝廟、カイディン帝廟と並ぶ有名な観光スポットの一つになります。
1840年に建設が開始され、翌1841年にミンマン帝が急死したので、後を継いだ三代目のティエウチ帝が3年の期間を経て完成させました。
ミンマン帝は儒教思想を重要視していた人物だったので、彼の治世中に作られた建築は中国風のものが多く、帝廟も彼の理念を反映した造りとなっています。
トゥドゥック帝廟と同じで、ここにも本人は埋葬されておらず、どこに遺体が埋葬されたかは未だに不明。
ミンマン帝の治世
ミンマン帝(在位1819~1841年)は、歴代の中でも特に優れた皇帝とされ、最大の功績は中央集権化と新しい登用制度の採用など。ベトナムは彼の在位中に最も発展したとされています。
彼は地方の有力者の影響を抑え、中央政府による強力な統治を実現させました。地方官僚の任命権を中央に集中させ、各地の統治を強化し、国家全体をより統一されたものにしました。
儒教的な価値観を重要視していたので、中国との関係を良好に保ち、文化や制度を積極的に取り入れます。その代表例が、中国の科挙に倣った実力主義による登用制度。能力と学力に基づき優秀な人材を国家運営に加えることで、官僚機構の質を高め、国家の安定に貢献させました。
一方で、フランスなどの欧州諸国の影響力が拡大することを懸念し、外国商人や宣教師に対する規制を強化。ベトナムの港への外国商船のアクセスを制限し、貿易活動を厳しく管理。欧州の商人が自由に国内市場にアクセスできないようにし、国家の主権を守ることに努めました。
また、フランス人宣教師を通じて布教されるキリスト教が、ベトナムの伝統文化を乱すと考え、キリスト教徒が増えることによって欧州の影響力が拡大しないよう、布教の禁止、キリスト教徒の弾圧、宣教師を国外追放するなどキリスト教に対しては厳しい政策を実施しました。
ですがこれにより、先代のザーロン帝の時代には比較的良好だったフランスとの関係が悪化。後の植民地支配の要因となってしまいました。
入場料
ミンマン帝廟の入場料は150,000VND=900円。
複数の施設に入場できるコンボチケットもあるので、ミンマン帝廟以外にも観光したいという人はそちらの方がおすすめ。
コンボチケットの料金
コンボチケットは全部で4種類あり、入場できる施設が異なります。
有効期間は購入日を含め2日間なので、初日はグエン朝王宮を、2日目はバイクやタクシーを借りてミンマン帝廟を含む郊外の廟をまとめて回るというのが効率的。
グエン朝王宮 | トゥドゥック帝廟 | カイディン帝廟 | ミンマン帝廟 | 料金 | |
チケット① | 〇 | 〇 | 〇 | × | 420,000VND |
チケット② | 〇 | 〇 | × | 〇 | 420,000VND |
チケット③ | 〇 | × | 〇 | 〇 | 420,000VND |
チケット④ | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 530,000VND |
グエン朝王宮の入場料は200,000VND、三か所の廟はそれぞれ150,000VNDなので、①~③は80,000VND、④は120,000VNDの割引になります。
トゥドゥック帝廟の見どころ
ミンマン帝の敷地は広大ですが、主な見どころは池の中央に配置された霊廟くらい。正門から一直線に陵墓まで伸びる造りとなっているので、特にあちこち歩き回る必要もなく効率的に観光が可能。
あまり日影がないので熱波が来ている時なんかはササっと観光を終わらせるのが吉。
大紅門
ミンマン帝廟の正門である「大紅門」。
この門は、ミンマン帝がここに運び込まれる際に一度開かれて、それ以降はもう使われていないとされています。現在観光客の出入りは、離れたとこにある左紅門か右紅門から。
グエン朝王宮でもそうでしたが、帝専用の門とそれ以外の門がありました。
門の前には死者の霊魂を守るとされている、ゾウや馬、役人の石像が配置されています。
中国の兵馬俑のようなものでしょうか?
碑文
周囲より高く積み上げられたお堂。ここにはミンマン帝の功績を称えて刻まれた碑文があります。
トゥドゥック帝廟には、謝罪の碑文がありましたが、本来霊廟に置かれる碑文はこのように祀られている人物を称えるものになります。
ミンマン帝は、ベトナムの発展に貢献した偉大な人物なので、さぞ素晴らしいことが書かれているのでしょう。
周囲には塀が置かれ、字が細かすぎるので読めません。仮に近づいたところで、何と書いているかなんてわかりませんけど。
崇恩殿
三つの門が並ぶ門の先には帝の位牌が祀られた礼拝堂があります。
この門は「顕徳門」といい、中央の門が閉じられているのは帝専用だから。王位は廃位されて久しいのでもう開かれることはありません。
「崇恩殿」ここにミンマン帝と皇后の位牌が祀られています。
ミンマン帝は中国文化と儒教思想を重要視し、建築物にもその思想が反映されています。この帝廟も鮮やかな朱色をメインにした中国風の装飾。
軽く資料も展示され、「明命」の字が入っていることから、おそらくミンマン帝の書いた書状か何かでしょう。
ベトナムは、フランスに植民地化される前は漢字を用いていました。
明楼
「明楼」。ミンマン帝が生前使用していた寝台が置かれている楼閣。
この建物自体は特筆することはありませんが、背後にある橋の先には、ミンマン帝の陵墓があります。
古墳のように小高く盛り上がった丘、その中に墓があるのですが、実際に遺体は埋葬されていません。空のお墓です。
トゥドゥック帝同様、墓荒らし対策のためかと思われます。
正門前からここまで500m以上。大体20分ほどで観光は終了しました。
おわり
ミンマン帝廟は、地図で見る限りはそこまで離れていないようでしたが、実際にはアクセスがすこぶる悪いのでバイクで来るなり、ツアーに参加するなりしておくべきでした。
後悔先に立たずとはまさにこのこと。
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