こんにちは。わらびです。
ホーチミンでは日帰りでクチの地下トンネルツアーに参加してきました。
今回は、おすすめのツアー会社やツアーの見どころなんかを適当にササッと紹介していきます。
この記事の情報は2024年3月時点のものになります。
もくじ
クチトンネルとは?
「クチトンネル」とは、ホーチミンから北西に70km、ベトナム戦争時に南ベトナム解放民族戦線の拠点が置かれた地域に掘られた地下トンネル。
米軍の爆撃や枯葉剤を耐え凌ぐため掘られたトンネルは、総全長250kmにも及ぶとされています。
ホーチミンルートの終点からトンネルは始まり、解放戦線の兵士は、このトンネルを通って南ベトナムへと潜入していきました。
現在見学できるトンネルは、戦時中に使われていたものを、観光向けに整備拡張したもので、観光可能なのは、「ベンユック」と「ベンディン」にある2か所。
ベンユックの方が規模は大きいですが、ホーチミン発のツアーで訪れるのは、大半はベンディンの方になります。
おすすめのツアー会社
ベトナムのツアー会社といえば、老舗のシンツーリストか「キム・デルタ・トラベル」のどちらが定番。
オフィスは、ホテルの多く集まるデタム通りにあるのでアクセスも良好。
宿泊場所がオフィスから離れていても、ピックアップサービスがあるので問題ありません。
こちらの会社で、クチトンネルとメコンデルタツアーに参加してきました。
ツアーの料金と時間
クチトンネルツアーは1日2回、午前と午後に一回ずつ催行されています。
参考までに、他のツアー料金と時間も載せておきます。
- クチトンネルツアー
- 450,000VND
- 午前・8:00〜15:00
- 午後・12:45〜19:00
- メコンデルタツアー
- 450,000VND
- 7:30〜17:30
- クチトンネル+メコンデルタ(Full Day)
- 1,490,000VND
- 7:00〜18:30
注意点
地下トンネルは、中に入るか入らないかは自由ですが、やはりこのツアーの醍醐味だけあって体験しておきたいところ。
昔使われていた頃より拡張されているとはいえ、かなり狭く、中に入るとザリザリに擦れて汚れます。
汚れても良い服装で。
それと、直射日光に晒されはしないものの、30℃を超える中2時間ほど森の中を歩くので水は必須。
ツアー会社から水の配布、公園内に売店やカフェあり。
ツアーの見どころ
ホーチミンを朝8時に出発し、各ホテルへとピックアップに向かいベンディンのクチトンネルに到着するのは11時頃。
これから2時間ほどのツアーが始まります。
地下トンネルの説明
ツアーの最初は、模型を使って地下トンネルの構造や、解放戦線の支配地域などについて説明を受けます。
トンネルは3層構造、内部には会議室や司令部、生活エリアや病院などが置かれ、多いときではこの中に10,000人以上が住んでいました。
爆弾も猛毒も及ばないこの地下トンネルの掘られたクチは、難攻不落の「鉄の三角地帯」と呼ばれ、ホーチミンルートと共に米軍を苦しめました。
地下トンネルの出入り口
トンネルの説明が終わり最初に見学するのがこの地下トンネルへの出入り口。
ツアーパンフレットの写真に掲載されているのも大抵がここの写真。
50cmにも満たない狭い穴に入り込み、偽装用の蓋を持ち記念撮影をします。
今でこそ観光用に整備されていますが、戦時中、この場所は見通しの利かないジャングルの中。
葉っぱなどで偽装すると目視ではほぼ判別不可能。
各地にこのような場所があり、米軍に対して奇襲攻撃を仕掛け、絶えずいつどこから攻撃を受けるかわからない恐怖とストレスを与え続けました。
ブービートラップ
解放戦線がジャングル各地に仕掛けたトラップのレプリカ。どれも木に釘を打ち付けただけの、原始的なものばかり。
それでも効果は絶大。一度嵌るとなかなか抜け出せない使用。
これらの罠も、トンネル同様葉っぱなどで偽装され、落とし穴のようになっています。
回転扉のように、踏んだら穴の底で串刺しという罠も。
落とし穴系がメインですが、中にはドアを開けたら落っこちてくるものもあります。
これに人糞を塗り付け、怪我だけでなく破傷風などの感染症を併発させていたそうです。
これらの罠は地雷と一緒で、殺すためのではなく、負傷させるためのもの。
戦場では死人よりも怪我人のほうが厄介になるとはよく言ったもので、負傷者を放置する訳にもにもいかず、数人がかりで運搬しなければならないし、野戦病院では戦えないのに食事もする。薬も使い物資を消費、後方の支援機能を圧迫します。
何より味方の士気を下げるという意味でも大きな役割がありました。
破棄された戦車
クチトンネルツアーでは割かし人気が高いのがこの破棄された戦車。
ここに来るとみんなテンションが上り、登って記念撮影していました。
その気持ちわかります。
地雷で走行不能になったため放棄されたそうです。
ベトナム戦争といえば、「ヘリコプターの戦争」と呼ばれるほど多くのヘリが動員されました。
戦車は、市街戦以外で使われていたイメージはありませんが、こうしてジャングル攻略にも使われていたんですね。
射撃体験
クチトンネルツアーの途中には、格安の射撃体験があります。
これは特に強制でもないので、体験したい人だけがやるというものになります。
受付で自分の撃ちたい銃の種類を伝え、お金を払い弾倉を受け取ります。
最低料金は弾倉1つ(10発)からで600,000VND=3,600円。
弾倉を受け取ったら、射撃場の案内に従い、自分の持つ弾倉に対応する銃のもとに向います。
今回私が体験するのはM16。
ベトナム戦争では米軍が利用していた自動小銃です。
射撃体験といっても、銃は壁にしっかりと固定されているので、特に注意事項などはなく、係の人が弾倉を銃に入れたら、後は銃口を的へ向け引き金を引くだけ。
生まれて初めての射撃体験。
一発ずつ引き金を引いて撃っていましたが、的に当たっているかどうか分からない。
何なら3発撃った時点で弾詰まりを起こしてしまいました。
この銃は、ジャングル内の戦闘では動作不良が多かったそうですが、当時の米軍のリアルな感覚を体験することができました。
地下トンネル
ツアーの最後。
いよいよメインのトンネル体験です。
内部はかなり狭いので大柄な人にはかなり厳しいです。
これ以上進めないと判断した場合は名誉ある撤退を。
中腰で数十メートル進まなければならず、服も壁に擦れて汚れます。
250kmにも及ぶ地下トンネルは全て手作業で掘られました。
実際にこのトンネルが使われていた当時、爆撃や枯葉剤は防げる反面、内部では毒蛇や虫、寄生虫などといった別の脅威もありました。
今でこそ観光用に拡張されていますが、当時はもっと狭く、ベトナム人のように小柄な人間しか入れませんでした。
米軍は、このトンネルを攻略するために、「トンネルラット」と呼ばれる志願兵を募り、トンネル内の掃討に向かわせました。
彼らのいずれも小柄であることが条件で、拳銃とナイフ、懐中電灯のみでトンネルへと突入していきました。
当然、土地勘があり待ち伏せも出来る解放戦線側が圧倒的に有利。死傷率はかなり高かったそうです。
その後手を変え、軍用犬を突入させるも失敗に終わり、最終手段として絨毯爆撃を行いましたが、これも大した成果を上げることはできませんでした。
あらゆる所に潜み、突如として現れる神出鬼没の解放戦線兵士。
米兵は「ベトコン症候群(ベトナム症候群とは別)」と、彼らが呼ぶストレスに苛まれ、これが民間人への無差別攻撃や虐殺へと繋がりました。
周囲には小さな池のような窪みがあり、これは爆弾が落ちてできたクレーターで、半径10m、深さは3mほど。
つまり、これより深くにいれば爆弾の被害には遭わないということですね。
爆弾でも破壊できない、猛毒を散布しても効かないトンネルは非常に厄介。
更にはここを通じて南ベトナムへと潜入、時として米軍基地内で働くベトナム人の中にも紛れ込み、米軍に対して徹底的に恐怖心を植え付けました。
軽食
地下トンネルを抜け、両肩が土でザリザリになったら戦時飯を食べてツアーは終了となります。
ここで食べるのは、かの一大ブームを引き起こしたあのタピオカ!…
の、原料のキャッサバ芋。
少々繊維質ですが、ほんのり甘くお腹にたまりそう。
これが、世界一の軍隊に一泡も二泡も吹かせ、ベトナムを勝利へと導いた活力源。
確かに、食べた途端に活力が漲ってくるような気がしますが、無職の私が食べたところで何ら意味はありませんが。
おわり
米軍を実質的な敗北である、名誉ある撤退まで追い込んだ要因の一つ難攻不落のクチトンネル。
トンネル内の体験だけでなく、戦時飯や格安の射撃もできるのでおすすめです。
ホーチミン観光では是非に。
「南ベトナム解放民族戦線|National Liberation Front(NLF)」は、ベトナムの南北統一を掲げ南ベトナムで結成された統一戦線組織。米軍側の用いた「ベトコン」という蔑称が一番有名。地下に潜み爆撃や枯葉剤を耐えしのぎジャングルでゲリラ戦を繰り広げ米軍を苦しめた。1968年のテト攻勢では大敗を喫したものの、ベトナム戦争の悲惨な現状を世界に伝え世論を動かし米軍を撤退へと追い込んだ。
腐敗したゴ・ディン・ジェム政権に嫌気がさし参加した旧南ベトナム軍のメンバーも多く、皮肉にもアメリカとジェム政権は勢力拡大に貢献していた。