こんにちは、わらびです。
新しい剃刀の刃が肌に合わないのか毎回カミソリ負けし血まみれになっています。
どうでも良い肌事情を報告したところで本題へ参ります。
今回の記事では、イランのゴムにあるイスラム教シーア派の聖地「ファーティマ・マスメフ廟」について紹介
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この記事の情報は2023年4月時点でのものになります。
イスラム教シーア派の聖地
テヘランの次に訪れたゴム、この街にはイスラム教シーア派12イマームの聖地のひとつである「ファーティマ・マスメフ廟」があります。
イスラム教の聖地といえばメッカやメディナが思い浮かびますが、シーア派ではそれらに加えイラクのカルバラーやクーファ、イランのゴム、マシュハドなどを指します。
これはイスラム教に限った話ではありませんが宗派によって聖地は異なるんですね。
ゴムは隣国のイラクやアフガニスタンからも巡礼者が訪れる聖地だけあってイラン各地からのアクセスが容易にできます。
テヘランからはバスで片道2時間、料金も1ドルほどなので日帰りでの観光も可能です。
12イマーム派について
ここでイランの国教のシーア派12イマームについてちょっと解説。
「12イマーム」というのはイスラム教シーア派で一番信者数の多い宗派でイランの国教にもなっています。
そしてこの名前にもなっている「12イマーム」というのはシーア派の指導者のことで、歴史上このイマームが12人いたことが由来しています。
一番最初のイマームはムハンマドの末娘と結婚した4代目カリフのアリーから始まり、以後ムハンマドの血を引く子孫が11人がイマームとして認められています。
12イマーム派では歴代イマームの霊廟がある都市が聖地とされ、主要なところでは、シーア派誕生のきっかけの事件「カルバラーの悲劇」で殉教した3代目イマームのフセインの霊廟があるカルバラー、アリーの霊廟があるクーファが該当します。
イラン国内では8代目イマームのアリー・リダーが祀られているマシュハドとその妹のファーティマが祀られたゴムの2か所が聖地とされ国内外から多くの信者が巡礼に訪れます。
まあ軽くこんな感じですけど気になった人は詳しく調べてみてね。
ファーティマ・マスメフ廟
ファーティマ・マスメフ廟はイスラム教以外でも入場可能。
バッグやカメラの持ち込みは不可のため入り口にある無料の手荷物預かり所で預かってもらう必要があります。
持ち込めるのはスマホくらい。
ここで荷物を預けるにはパスポートの提示が必要なんですが、私はホテルのフロントにパスポートを預けていたのでクソだるいけど一旦ホテルに戻って荷物ごと置いてきました。
入場ゲートの保安検査を抜けいよいよシーア派の聖地に足を踏み入れる。
まずは金ぴかのドーム。
この金ぴかドームが8代目イマームのアリー・リダー…その妹ファーティマが祀られている場所になります。
まずは、入ってすぐ右手にある礼拝所へ。外からも見える巨大なドームのあるところ。
壁を覆うタイルも美しいのですが、ここで上を見上げると
鍾乳洞を模した「ムカルナス」という装飾。見事です。
私はこの装飾が好きで、モスクを見る時ここばかり見ています。
自分の家の玄関にあったらさぞ素晴らしいことでしょう。
イスラム教徒以外が中に入っても問題ありませんが、この時中では徳の高そうな人が演説していてテレビカメラとかもいたのでやめておきました。
別に怒られたりはしないんですけどね、もしテレビの中継とかやっていたらイラン国内に自分のアホ面が流れることになるので。
醜態をイラン国内に晒すのを未然に防ぎ次へ進もうとした矢先、巡礼に来ていた人に話しかけられたのですが何を言っているのか分からない。ペルシャ語で返答しても分からない様子。
何やら「クーファ」という単語が聞こえ、ここでこの人がイラクのクーファから来ているということに気付く。
参りましたね、イラクといえばアラビア語が公用語。ペルシャ語を話す人も一定数いますがこの人は分からないみたいです。
さて、どうしたものか?
…まあでも、何やかんや言って実はアラビア語もある程度できちゃうハイスペック無職なので軽く自己紹介しておきました。
さて次です。
美しいタイルの正体
壁と天井一面が綺麗な装飾で覆われたトンネル、よくよく見てみるとなんと全部モザイクタイル。
ヤバい…
壊れている部分があったので見てみましたが、石の形をキレイに揃えはめ込んでいくようです。
やっぱりヤバい…
これを壁と天井一面に、おそらくさっき見たムカルナスもこうして仕上げられているのでしょう。
中学の時の学園祭でクラス展示で空き缶を刻んでモザイク画を作ったのですが、色を揃えることが出来ず最終的にペイントして仕上げた記憶があります。
モザイク業界に携わった者の端くれ、つまりはモザイカーとしてこの仕事には見事と言わざるを得ません。
むしろあの時作った作品をモザイクアートの一種とするのはいささか失礼が過ぎる。ゴミです。
つまり私はクラスの皆と力を合わせてゴミを作り上げたのでした。
確か銅賞(最低評価)を頂きました。
田舎で一学年4クラスしかないので金賞、銀賞、銅賞×2という風になるのですが、クラス数の多い都会ではこうはいかないのでしょう。
人数が少ないので必然的に競合相手も少なくなり手を抜いても上位入賞が可能。お手軽に自尊心を満たせます。
大話が脱線しましたが次は霊廟内へ向かいます。
霊廟の内部
中に入るとこんなものが。
これはおそらくあれでしょう、イスラム教徒が暗記しているとされているコーランの一節。
一応読めますが、意味はあまり分かりません。なんかずっと挨拶ばかりしています。
ちなみに、コーランとは本来形のない聖典で暗誦により行われるものって知ってました?
そもそも今あるコーランもムハンマドによって作られた物でもないんです。
ここで詳しく解説するつもりはないので気になった方はたまには自分で調べてみてね。
さていよいよ霊廟です。
辺りはほとんど鏡張りでうまく説明できませんが奇跡みたいな光景が広がっていました。
手前まで来ましたが多くの人だかりでなかなか近づけません。
スーパーの特売に強いご婦人方であればうまく切り抜けられるのでしょうが、そもそも女性は近づけません。
それでも人混みにもまれながら近くに行ってみました。
写真は撮れませんでしたがどんな感じだったかというと、熱心なイスラム教徒たちが押し合い霊廟に懸命に手を伸ばし、中には口づけする人も。
皆押し合うので表面に掘られた彫刻は擦り切れへこんでいる部分もありました。
シーア派のお祈りの時に使用される石、これを床に置いて額をこの石に押し当てます。
熱心なイスラム教徒、特に年配の人に多いのですが長年お祈りをしているためおでこに痣ができている人も多いです。これはイスラム教徒の間では一種のステータスとなるそうです。
お土産屋でも売っています。イスラム教徒以外が買っても使い道は文鎮ぐらいしか無いかもしれないけど記念にぜひ。
そこら辺に座って休む人や寝ている人、走り回る子供たちなどなど多種多様、皆思い思いに過ごしています。
聖地と聞いてお堅い気もしましたが大分自由な空間。
おや、ここは…?
一番最初テレビカメラがいて入るのをためらった場所です。なんやかんやで来てしまいましたがやはり近づくのはためらわれました。
再び外へ。
こちらは女性用の入り口側。
夜になると広場自体への男性の立ち入りが禁止されるので昼しか見ることが出来ません。
ペルシャ絨毯の目利き
最後に、そこらに敷かれていたペルシャ絨毯で休憩。
こういった場所に置かれる絨毯はたいていが機械製だそうです。
ペルシャ絨毯は裏の目が細かいほど高級になります。
恥ずかしながらペルシャ絨毯とは無縁の生活を送ってきたので良し悪しが分かりません。
いつかペルシャ絨毯の目利きができる人間になりたいものです。
夜のライトアップ
夜にもう一度戻ってきてライトアップを見に来ました。
女性用の入り口のある広場。柵が設けられ男性は近づけない。
こんな感じでコム観光はお終い。次はカーシャーンへと向かいます。