こんにちわ、わらびです。
イラン出国後ワンを経由し、トルコ東部の「ディヤルバクル」という街にやってきました。
多分あまり聞き馴染みのない名前かと思いますが、世界遺産があったりする観光地でもあります。
タイトルにある通り今回の記事では危険な目に合ったことについて。
2回目のディヤルバクル
トルコ東部の中心都市ディヤルバクル。
旧市街を囲む城壁の長さは全長約6km、万里の長城に次いで長い城壁とされ世界遺産にも登録されています。
ここに来るのは実は2度目。
2017年~2019年に長期の旅行をした際の最終目的地がここディヤルバクルでした。
治安が悪いし色々あってあまりいい思い出の無い場所で、今回も危険な出来事に遭遇する羽目に。
世界遺産の城壁
ディヤルバクルの旧市街を囲む城壁。
来るのが2回目だし今回のメインでは無い。単純に文章を書くのが面倒なのでWikipediaから引用。
ディヤルバクルはティグリス川上流域に位置し、肥沃な三日月地帯に含まれる。「ディヤルバクル」という都市の名前は、20世紀になって正式に制定されたものである。それ以前は古代ローマ時代にアミダ (Amida)、後のアラブ人たちからはアーミド (Amed) と呼ばれていた。しかし、都市の歴史はそれよりもはるかに古く、ディヤルバクル一帯では、チャユニュー遺跡(紀元前9300年頃から前6300年頃)に代表される新石器時代以来の定住の跡が見つかっている。
城壁の発達は古代ローマ時代のことである。その時代に地域の主要都市となったディヤルバクルでは、段階的に城壁が整備され、現存する城壁のもとが形成された。イスラームの勢力圏に入っても、地域の主都としての重要性は揺らがず、ことに11世紀には城壁に様々な修復工事が行われた。この修復のときに多くの碑文が書かれた。城壁には時代ごとの変遷を伝える碑文が63件残されているが、東ローマ帝国時代に遡るものはわずかに6件、残りはイスラーム勢力圏内に入った後のものである。
オスマン帝国に支配された後も地域の交易拠点としての重要性を保ち、かくしてディヤルバクルにはヘレニズム期から現代に至るまで、時代ごとに重要な都市であり続けた歴史が刻まれている。
wikipedea
城壁の上を歩くこともでき入場料もかかりません。
軽く歩いてみると数年前と大きく変わっている点が。
数年前に来た時は城壁の外に貧困層のスラムが広がっていたというのに今ではこの通り。
現在トルコの大統領であるエルドアンが下流、中流階級の支援を積極的に行い、それに伴いクルド人たちの暮らしも改善されているんだそう。
クルド人たちの暮らしが良くなったのはいいことだが、人口も増え政治的な影響力も強くなってきているので、また新たな問題が増えて生きそうな予感。
4年前はこんな感じでした。
ディヤルバクルでの危険体験
さあ前置きが長くなったけどここからが本題。
ディヤルバクルは世界遺産に登録されているということで観光地なのだが、実は結構治安が悪い場所。
外務省のHPではディヤルバクルは危険レベル3の渡航中止勧告が出ている状態。
危険度はコチラから確認できます。
国を持たない民族として有名なクルド人が多く住み、トルコ建国後から始まったクルド人闘争の中心地。この街では過去何度もトルコ軍と衝突が起き、定期的に大量の武器も押収されています。
何でこんなに武器が流通しているかは詳しく分からないけど、テロ組織「クルド労働者党(PKK)」に対してシリアが援助していたことが関係しているのかもしれないし、ISISとの戦いの最中どうにかこうにか手に入れたのかもしれない。
詳しい経緯は不明だけど、市民の間に武器が流通しているということだけは確か。
また、銃の流通だけではなく過去のある出来事が影響し外国人に対して排他的で攻撃的な態度を取る住民も一定数いるんです。
喧嘩で銃を使うのもそうだけど、外国人に対して攻撃的な人らが銃を持っているというのだからとんでもなく恐ろしい。
フレンドリーに話していても、こちらがイスラム教徒でないと知ると怒るなんてのはよくあること。それどころか街中を歩いていたら外国人というだけで突然怒鳴りつけられたこともあります。
バスの行き先を教えてくれた親切な若者と話していたら途中で「イスラム教徒は美しい」や「お前はイスラム教徒か⁉」と血走った眼で何度も聞いてくるではありませんか?
イスラム教徒ではないと答えたら何をされるか分からないので、何言ってるか分からないふりしてやり過ごすなど色々ありました。
なぜ外国人と非ムスリムに対して攻撃的な人がいるかというと、まあここからは推測になるんですが、テロ組織のクルド労働者党(PKK)が過去外国人を攻撃対象にしていたのでそれが関係しているんじゃないかと?
ディヤルバクルのクルド人にもPKKの支持者や彼らの考えに共感している人もいるでしょうから、このように外国人に対して排他的な人もいるのだと思われます。
あくまで推測なので詳しい理由は不明。
でも外国人や非ムスリムに排他的な人がいるというのは事実で、そういう人たちが武器を所持しているかもしれないといというのが恐ろしい。
イランのケルマーンシャーでも銃を使った喧嘩を目撃しましたが、この街でも銃を使った喧嘩に遭遇しました。
ホテルの部屋にいる時外が騒がしいので窓から外をのぞくと、路地で二人の男が言い争っていました。
うるさいから静かにしてほしいな
とか思いながら見てると、片方の男がベルトから何かを取り出し相手に向ける。
自分がいるのは3階でしたが、男が手に持つ黒いものを即座に銃だと認識し窓から飛びのき床に伏せる。
…やばいやばい!
と、小声でささやきながら窓から離れ身を低くする。
平和な国日本で生まれ育ったけど、初めて遭遇する危険に適切な行動をとれる自分に少し驚く。
それはさておき、銃声は聞こえずその後も言い争う声だけが聞こえ続ける。気になったので恐る恐るまた覗いてみると…、
銃を構えたままの男、そして銃を向けられた男。
銃を向けられた側は特に恐れる様子もなく相手に向かおうとする。
ケルマーンシャーの時もそうだったけど、銃を持った相手に丸腰で立ち向かうなんてどう考えても普通じゃない。頭がクレイジー。
さすがにこの状況はまずいと思ったのか、周囲でお茶をしていたおっちゃんたちが間に入り男たちを宥めていました。もちろんおっちゃんたちも丸腰、その状態で銃の前に立っていました。
最終的に宥められた男は銃を収め立ち去っていきましたが、ヤバイね。本当にヤバい。
何がヤバいって誰一人として銃にビビっていないということ。
なんで銃を持った人間に丸腰で向かって行けるのか?
ホテルの3階から見ているだけの自分が一番ビビっていました。
多分発砲されたところで特に気にも留めないんだろう。凄まじい肝の座りっぷり。
普通銃持った人がいたら迷わず逃げるのが最適解なんだろうけど、クルド人たちは勇敢に立ち向かう。
トルコに限らずクルド人は民族消失の危機に対し女子供ですら命を懸けて戦っているしこの程度であれば些細な事なのでしょう。
最近日本でも話題のクルド人。こういう所で生まれ育った人らが日本に来て問題を起こしているのも普通におっかない。
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