こんにちは。わらびです。
今日ホステルの階段から滑り落ちました。痛かったけどケガはないし、何より男の子なので泣きませんでした。
今回は、ハイデラバード観光で訪れたゴールコンダ城についての記事です。
丘の上に作られた巨大な城砦でダイヤモンド交易で栄え、なんとあのイェール大学との意外な繋がりもあるとかないとか…
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もくじ
ダイヤモンド交易の中心ゴールゴンダ城
ハイデラバードの中心から西に10kmの丘上にある「ゴールコンダ城」。
1518年~1687年にこの地を治めていたクトゥブ・シャーヒー朝時代に作られ、各地から商人の集まるダイヤモンド貿易の中心として栄えました。
丘の上にあるという立地は、平和な時代になるとただの不便でしかなくなり都は移され、その後ムガル帝国の侵攻で徹底的に破壊されてしまいました。
ハイデラバードがニザーム王国の首都として繁栄した後もゴールコンダ城は放置され、近年までは廃墟だったそうです。
アクセス・入場料
ゴールコンダ城は街の中心から離れているので少しアクセスが面倒です。
リキシャ―で行く場合は片道350ルピー前後を目安に交渉しましょう。
バスでも行くことが出来ますが、ゴールコンダへ向かうバスは「65G」の一路線のみ。
ゴールコンダ城が終点になっています。
「65G」は本数も少なく非常に混雑する路線なので途中からでは乗れない場合もあります。
バスはチャール・ミナールの南側の道路から出発するので、旧市街付近から乗るのがおすすめです。
私はサラー・ジャング博物館前のバス停から乗りました。
ゴールゴンダ城の入場料は300ルピー。
ゴールコンダ城の見どころ
ゴールコンダ城はインドでも有数の大きさを誇る大城塞ですが、ムガル帝国の侵攻により破壊されてしまったため建物自体はそこまで残っていません。
観光では巨大な城壁や建物の跡地を見て周るという感じになります。
それでも、丘の上にあるのでハイデラバードの街を一望でき、夕暮れ時にもなると多くの観光客で賑わう人気の夕陽スポットです。
音の通路
まずは巨大な城門をくぐるのですが、ここでは多くの人が手を打ち鳴らしています。
何をしているかと思えば、この先の通路は王の謁見所と音響効果によりコミュニケーションが取れるようになっているそうです。
手を打つ鳴らすのはもちろんそうですが、奇声を上げる人も結構います。
私は1人で恥ずかしいのでやりませんでした。
城内の廃墟
城門を潜り抜けると丘の上に広がる巨大な城砦が見えてきます。
「なんだコレ、でけえな」という感想しか出てきませんが、それもそのはず、山ひとつを城塞として利用しているんです。
インドのマンパワーに感服。
ムガル帝国により徹底的に破壊されてしまい、ある程度の原形をとどめたものもありますが、細かい装飾部分なんかはありません。
これほどの大城塞、作るのもそうですが壊すのも相当に大変なんでしょう。
このゴールコンダ城、立ち入り禁止エリアがいくつもあるのですが、インド人たちはそんなのお構いなしに侵入し記念撮影し放題。
その都度警備員が笛を吹いて警告するので、城内には常に笛の音が響いていました。
ちゃんと仕事をするインド人という珍しい光景に出くわしてしまいました。
巨石と融合した城壁
ゴールコンダ城の城壁はこのように巨大な岩と一体化した造りになっいます。
ハイデラバードの位置するデカン高原は巨大な岩がいくつも転がる奇妙な光景が広がっており巨石信仰も生まれるほど。
中でもハンピが有名ですね。
この部分なんかはたらこ唇の顔に見えますが、私だけでしょうか?
このように鑿でいくつも小さな溝を掘ると綺麗に石が割れるみたいです。
壁画の残る祠
城内の一角には古い壁画が残された祠があります。
壁画は赤い塗料のようなものでべちょべちょに塗られ、その上から観光客が張り付けていったコインが付いています。
気持ちはわからんでもありませんが、文化財なんだからもうちょっと大切にしようね!
岩の間のヒンドゥー教寺院
城の頂上へ向かう途中には巨大な岩の間に作られたヒンドゥー教寺院があります。
巨大な岩にはペンキで塗りつぶされヒンドゥー教の神々が描かれています。
ここで私は何を思ったか「塗りつぶすだけなら自分にもできそうだ」と危うく労働意欲を抱くところでした。
ずっと遊び歩いていると偶発的にこのようになりますが、これは危うい兆候です。しっかりと気を引き締めなければなりません。
バランス良く乗っかている岩
城の頂上
いよいよ、ゴールコンダ城の頂上に到着。夕日も沈み始めていい時間帯です。
展望台には夕陽が差し込みいい雰囲気。
IT産業を中心に目覚ましい発展を遂げているそうですが、意外と平べったい街並みをしています。
巨大なドーム屋根、霊廟でしょうか?
背後の巨大なビルが気になります。
別の方に目をやると変なデザインのビル、非常に特徴的なデザインですが内部の移動が大変そう。
余談ですが、私の地元の市役所も最近建て直され近代的なデザインになり生まれ変わりましたが、働いている人たちからは「移動がし難い」と不評です。
インドの観光地ではよく記念撮影を頼まれるのですが、1人が写真を撮り始めると周りの人たちも我も我もと押し寄せてきます。
だいたい3組目あたりからうんざりし、真顔で目が死んでいるので忍びない。
せっかく綺麗な夕陽なので写真を撮りたいのですが次々やってくるインド人をさばききれず、夕陽もそこそこに逃げるようにしゴールコンダ城観光はお終い。
帰り道でもインド人にしつこく絡まれました。
もうやだ。
ゴールコンダとイェール大学の繋がり
ゴールコンダ城とイェール大学の関係についてとうとう紹介する時がやってきました。
かつて、ゴールコンダ王国は良質なダイヤの産地として名を馳せ多くの商人がこの地にやってきました。この地で採掘されたダイヤモンドがアメリカの名門イェール大学の発展に大きく貢献したのはほとんど知られていません。
ゴールコンダのダイヤとイェール大学、一見関係ないようにも思えるこの二つを結びつけるのが、イギリス東インド会社マドラス(チェンナイ)総督を務めていた「エリフ・イェール」という人物。
彼の所属するイギリス東インド会社では、会社の船舶に空きスペースがあった場合はそれを利用しての私的貿易が認められていました。ですが、基本的に船舶に空きができることはほとんどなく、荷を運べたとしてもほんの僅かで大した利益になりません。
そこでイェールは、少量でも大金になり嵩張らずに輸送できるダイヤモンドに目を付けました。
ゴールコンダで産出されるダイヤモンドを会社の船舶の隙間に詰め込み本国に輸送し売り捌く、そうして彼は巨額の富を築きました。
引退後イェールは慈善活動に精を出しその一環である大学に多額の寄付をし、その大学は彼の名にちなんで「イェール大学」と名称を変更しました。
名称変更前は「The Collegiate School」という名前でした。
ゴールコンダのダイヤモンド無くして、今の名門校としての地位や発展はなかったという訳なんです。
ちなみにこのイェールさんすこぶる評判が悪い人だったらしく、周りからは「自分に甘い」や「優柔不断」と評されるほど。
ダイヤモンド貿易に関しても、私的貿易により会社に損害を与えたとして東インド会社からは背任容疑で裁判にもかけられています。
そして更なる豆知識。
イェールはダイヤモンド貿易に先駆け、ゴールゴンダ王国の現地調査にアルメニア人商人を派遣しました。その現地調査にはフランス人旅行記作家「ジャン・シャルダン」も同行し、2人は直接手紙をやり取りするなど親交がありました。
その際シャルダンは、イェールに気を遣い英語で手紙を書いていましたが、あまりにも拙い英語だったため、「フランス語の方がまだ理解できるからフランス語で書いてくれ」と苦言を呈されています。
以上、まったく役には立たないし自慢できるかも微妙な豆知識でした。
基本情報
名前 | ゴールコンダ城 |
場所 | Khair Complex, Ibrahim Bagh, Hyderabad, Telangana 500008 |
営業時間 | 9:00~17:30 |
料金 | 300ルピー |