釈迦が6年間の苦行に身を投じた修行の地「前正覚山」

こんにちわ。わらびです。

仏教生誕の地ブッダガヤ。

その近郊には、「前正覚山」という、釈迦が厳しい修行に身を投じた場所もあります。

ちょっと遠いですけど、せっかくブッダガヤに来たのであれば、こちらにも足を伸ばしたいところですね。

前正覚山とは?

6年の苦行の末、ブッタガヤで瞑想を行い、悟りを開いた釈迦。

彼が長く険しい苦行に身を置いたのが、ブッダガヤから北東にある「前正覚山(ぜんしょうがくさん)」という場所。

釈迦は悟りを開くために、両腕を上げたまま1日中過ごしたり、牛糞を体に塗り尿を飲んだり、太陽を直視する、人から石を投げられるという訳の分からない苦行に身を投じ、最後は、洞窟の中で骨と皮になるまで極限の断食を行い、それでも悟りは開くことは出来ないと山を降りました。

アクセス方法

ブッタガヤから前正覚山までの距離は約10km。

ガヤー⇔ブッタガヤ間と距離がほとんど同じく、同区間のトゥクトゥク料金が片道200Rsほどなので、相場はそのくらいになるかと思います。

私は歩いて行きました。

前正覚山に行くならここも!

前正覚山に行く場合は、道中にある2箇所の観光スポットにも立ち寄りましょう。

まずは、ブッタガヤから橋を渡ってすぐサジャタ村にある「スジャータ・ストゥーパ」。

日本では、褐色の恋人でお馴染みの彼女ですが、その正体は、山を降りて倒れる寸前だった釈迦に乳粥を与え、命を救ったとされる村娘「スジャータ」。

釈迦が悟りを開くのに大きな一役を買った重要人物です。

彼女の住んでいた場所には、8〜9世紀にかけてストゥーパが建築されました。

もう一箇所は、ブッタガヤから対岸へ渡る2つ目の橋の少し前にある「巨大なガジュマル」。

釈迦が瞑想したや蛇の神が住んでいたなど逸話がありますが、それを差し引いても、この超巨大な古樹は一見の価値ありです。

ブッタガヤから前正覚山に向かうルート上にあるので、必ず立ち寄りたいところですね。

修行の地前正覚山へ

ブッダガヤから対岸に渡り、村を何個か通り過ぎて北に向かうと徐々に見えてくる前正覚山。

想像していたことは違う、草木も生えない岩山です。

一応、釈迦が修行した聖地ではあるが、ブッダガヤの大菩提寺と比較すると圧倒的に訪れる人は少ない。

釈迦はこの山で、食事は人々から施されたもの、着物は捨てられたもののみで生活したとされています。

山の上へと続く道では、ブッタの修行にあやかってか、物乞いが列を成して施しを求めています。

そうです。

釈迦が修行していた頃とは変わり、今この地は物乞いロードと化しているのです。

修行僧でもない物乞いを無視して登ると、

そこには小さな寺院がありました。

この寺院の一角にある洞窟こそが、釈迦が断食をした洞窟です。

洞窟の隣には、岩の隙間に作られた小さなチベット寺院が。

釈迦が断食をした洞窟

千利休の作った茶室のように、身をかがめなければ入れないこの奥にあるのが、釈迦が極限状態まで断食を行ったとされる洞窟。

内部には、「断食する釈迦像」のレプリカが置かれています。

この洞窟での断食は、身体は骨と皮だけになるまで痩せ細り、血管が浮き出るほどにまでなりました。

そして、苦行では悟りを開けないと考えた釈迦は、衰弱しきった状態で山を降り、そこで出会ったスジャータから乳粥を与えられ、ブッタガヤで瞑想を行うことになります。

今から2500年以上前。

この場所で仏教の開祖が苦行に身を投じ投じていた。

イブラヒムやキリストと違い、しっかりと実在したであろう人間がここで歴史に残る行いをして、その結果生み出されたのが仏教。

今まで、何ヶ所も宗教の聖地には足を運んできましたが、自らが所属する宗教の信徒としてその場に立つというのは不思議な感覚です。

私も、際限なく湧き出てくる労働意欲を前に、あえて働かないという、自らの欲望を抑えつける苦行に身を投じていますが、

…それはどこか、釈迦に通じる所があるのだと思います。

…いや無いな。

おわり

前正覚山を後にし、ブッダガヤに帰る途中の出来事。

ここで釈迦は、スジャータに出会い介抱されることになりますが、一方無職で体力の有り余る私はというと、、

ガラガラと斧を引き摺って歩く村娘に出会いました。

彼女が私にとってのスジャータなのでしょうか?

いくら子供とはいえ、武装していると普通に怖いので、関わらないに越したことはありません。

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