こんにちわ、わらびです。
今回は、カイロ観光ではあまり脚光を浴びない観光スポット「スルタン・ハサンモスク」と「リファーイーモスク」、そしてちょこっと有名な「ブルー・モスク」についても紹介していきます。
この記事の情報は2023年8月時点でのものになります。
- カイロ
- ルクソール
- アスワン
- ダハブ、フルガダ
- シワ
もくじ
「スルタン・ハサンモスク」と「アル・リファーイーモスク」
カイロは「千のミナレットの街」と形容されるほど多くのモスクが立ち並ぶ街。
そんなモスクだらけのカイロ旧市街の中でも、ひと際目立つ巨大なイスラム建築が「スルタン・ハサンモスク」と「アル・リファイモスク」のふたつ。
ピラミッドや博物館など圧倒的な有名観光スポットの影に隠れてあまり目立たず、そこまで脚光を浴びることのないマイナーなスポットとなっています。
実際自分もガイドブックを見るまでその存在を知りませんでした。
しかし、実はこのふたつの建築はエジプト最大級のイスラム建築という面もあるので、もし時間的な余裕があるのであれば立ち寄って頂きたい、そんな場所に御座います。
世界遺産「カイロ歴史地区」の構成資産。
アクセス
スルタンハッサンモスクは、正直そこまでアクセスし易いとは言えません。
タフリールバスターミナル前を通過する「154番」「160番」でアクセス可能ですが、バス停は無く路上から乗るためちょっと面倒。
イブントゥールーンモスクからは歩いて10分ほどなので、自分の場合は歩いて行きました。
入場料
入場料は2つのモスクを合わせて120EGPとなっています。
スルタン・ハサンモスク
入場ゲートから見て左側がスルタン・ハサンモスク。
13世紀の中頃、カイロを中心にイスラム世界を支配していたマムルーク朝の代表的な建築で、エジプトでは最大級のモスクとされています。
外観は、切石を積み上げ装飾はほとんど無いシンプルな作り。
かなり大きいので近くからでは全体像をカメラに収めることは出来ません。
手前のミナレットは上まで写っていませんけど、高さは約90m。カイロでは最も高いミナレットで遠くピラミッドまで見渡すことができます。
残念ながら、現在は安全上の理由から登頂が禁止されています。
崩れそうなのか、それとも落っこちた人がいたのか、はたまたその両方か。
モスクの中には中庭があり、四方を「イワーン」という構成に囲まれた作り。中央には水場があり訪問時は改装工事中。
世界中の歴史的建築物ってたいていいつも改装中。
観光あるあるですね。
それはそうと、イランで幾度となく目にしてきたこのイスラム建築様式。中央アジアで一般的なチャハール・イワーン様式で建てられています。
イランのイスラム建築は、豪華で鮮やかなモザイクタイルで彩られていますが、エジプトのイスラム建築は石切りと簡単な着色という質素な作り。
きらびやかさが無い分、石の重厚さが際立つ。
モスクの最奥部、メッカの方向に位置するイワーンは、モスクの中では最も強調され高さ55mのドームが架けられています。
エジプト最大のモスクだけあって本当に大きい。
ドームのあるイワーンには、モスクの建築者であるスルタン・ハサンの霊廟があります。
エジプトはイスラム教だけあってどこでもネコを見かけます。しかもこの子らは人懐っこく基本的に逃げないときた。
人慣れしてても気分次第で普通に牙を剥くので写真撮影のみ。
アル・リファーイー・モスク
スルタン・ハサンモスクと並んで建つ「アル・リファーイー・モスク」。作られたのは20世紀に入ってからと新しい。
リファーイー教団の創始者の墓所の跡に建てられ、イランのラストエンペラー「パフラヴィ―2世」の墓所があります。
中にはいくつか墓所があり、どれか分からないけどひとつがパフラヴィ―2世の墓。
イラン革命により失脚したパフラヴィー2世は各地と転々とした後、深い親交のあったエジプトのサダド大統領に受け入れられエジプトに亡命。革命の翌年に亡くなりました。
革命後のイランとエジプトは断行するほど険悪な関係となりましたが、パフラヴィ―2世のことを兄弟と例えるほど仲の良かったサダド大統領は、彼の墓所をこの重要な土地に作りました。
私がエジプトを旅行していたのは真夏の8月。
日中の気温は40℃近くでどこでもファンやエアコンをフル稼働。おかげでカイロは深刻な電力不足で、しょっちゅう停電していました。
モスクの観光中も停電に陥りこの通り、AUDIの扇風機が停止してしまいました。
車のイメージしかありませんでしたが、富士フィルムがカメラ以外にも製薬しているように、AUDIも家電とか作っていたんですね。
最後はモスク前でお昼寝していたネコを撮影してお終い。
カイロのブルー・モスク
「ブルー・モスク」といえば、トルコのイスタンブールの物が有名ですが、ここカイロにもブルー・モスクと呼ばれるものがあります。
カイロの方にあるブルーモスクの名前は「ガーマ・アズラク」といいます。
14世紀にマムルーク朝時代の軍人により建設されたモスク。
建設から300年ほど経った頃、オスマン帝国から赴任してきた総督「イブラヒーム・アガー」がホームシックになり、イズニクから青いタイルを取り寄せて、故郷のイスタンブールのモスクに似せた装飾に改装されました。
現在青いタイルが残っているのはミフラーブ周辺の壁のみ。
ブルーモスクという割に青い部分が少ないので、正直そこまで面白みのあるところではありませんでした。
入場は有料
ブルーモスクは、以前までは無料で入ることができましたが、2023年時点では120EGPの入場料が必要になっています。
入場チケットは同じ通りにある10カ所以上の施設と共通。
- Amir Khayrbak Funerary Complex
- Beit Al-Razzaz
- Mosque and Madrassa of Umm Sultan Sha’aban
- Bab Zuweila
おわり
隠れたエジプト最大級のイスラム建築スルタン・ハサンモスクとアル・リファーイーモスク。
まあそうですね、エジプト最大というだけあって大きかったです。
ブルーモスクはそこまで見応えのあるものではありませんでした。