こんにちわ、わらびです。
これから始まる長い長いスペイン巡礼。
25㎏の重量のバックパックとともに1600km以上歩くというとんでもなく無謀なチャレンジなわけですが、まずは初日、ノートルダム・デュ・ピュイ大聖堂で行われた巡礼者を祝福するミサの様子と道のりについて書いていきます。
■ル・ピュイへの行き方と巡礼の準備■
スペイン巡礼初日
ついに始まってしまったスペイン巡礼。
ル・ピュイ=アン=ヴレからサン・ジャン・ピエ・ド・ポーを経由し聖地サンティアゴを目指します。
その距離およそ1600km。
四国のお遍路よりも200kmほど長い。
くわえて荷物の総重量は25kg。
いかに荷物を減らすかが重要な巡礼において、まず聞いた事の無い重さ。
これでフランスの山道を歩き、時には山脈を超えるというのだから、普通に軍隊の訓練よりもハード。
これから凄いハードなことに臨むわけだが朝は紅茶1杯。
大荷物背負って30km近く歩こうともいつも通り朝食は食べない。
これが自分のポリシーである。
朝のハプニング
宿をチェックアウトする少し前、他の巡礼者がトースターでパンを焦がしてしまい室内に煙が充満。
警報機が鳴り響くというハプニングがあった。
私は煙が警報機に届かないように上着で扇いでいたが、奮闘虚しく無意味に終わる。
なんだか幸先が悪いが気にしない。
ミサと出発の様子
朝6時半。
焦げたトースター臭いフリースを着て大聖堂に到着。
他にもちらほら人がいますが、みんなトレッキングシューズを履いていることから巡礼者のようでした。
係の人に言われ、バックパックを所定の場所に置きます。
大半の巡礼者はちゃんとした登山スティックを携え巡礼に臨むみたい。
それだけ巡礼の道のりが困難でつらいということだが、25㎏の大荷物を持った自分の場違いさたるや。
私は聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラが終点ですが、実はル・ピュイからサンティアゴデまで歩く人というのは稀。
多くは複数回に分けて歩くか、ル・ピュイ=アン=ヴレ~コンク。もしくはサンジャンドピエドポーまで歩くという人がほとんど。
さすがに1600kmも歩くとなると2~3ヵ月もかかるのでそこまで休みが取れない。
何より肉体的に辛いのだろう。
私が出発した5月末はフランスの大型連休。
この時期は1年の中でも特に巡礼者が多い時期で、連日100人以上の巡礼者がここから出発するそうです。
この日も150人以上ミサに参加していました。
ミサが始まると司教様…、でいいんだよね?
ここ大聖堂だし司教座があるから。
司教らしき方が中央で歌ったり巡礼者を祝福する何かを唱える。
フランス語なので何言っているかほとんど分かりません。
途中寄付が回ってくるので小銭を寄付し少しでも身軽にしておく。
今さら悪あがき。
1時間してミサが終わると、
床に付いた鉄格子が開き、その奥にある門が開け放たれます。
普段は閉まっているけど、巡礼者の出発用に朝の間しか開かない特別な出口。
巡礼者以外でも通っても問題ありません。
それぞれ違った目的を持つ巡礼者たち。
信仰、自然を満喫、自分探し…
私のようになんだか面白そうだからと、特に何も考えず参加する者も。
それぞれ違った想いと目的を持つ巡礼者だが歩く道と目指す先は同じ。
2023年5月末、前後に大きなバックパックを抱えた異質な風貌をした男がル・ピュイの大聖堂の門から出てくる。
そう、私である。
濃い霧が立ち込める中大聖堂前の坂を下り巡礼の開始。
……
…
したはいいが、前日道の確認をしていなかったのでどの道が巡礼路か分からず。
他の巡礼者たちの後をコソコソと追いかけるのであった。
しょっぱい始まり方。
初日の道のり
ル・ピュイの道は「GR65」と呼ばれるハイキングルート。
道の目印は白と赤の2本のライン。
他にも黄色や丸と三角のマークもあるけど、あくまで巡礼者が従うべきは、ポーランド国旗のような白と赤のマーク。
このマークの存在は下調べして知っていたが、街中にはいろんな看板があるので他とごっちゃになって見つけづらい。
これのせいで街から巡礼路に出る道が分からず少し立ち往生しました。
実は巡礼で一番道を間違いやすいのは街の中。
ル・ピュイを出てすぐに緩やかな登りが始まる。
辺りはまだ霧に包まれたまま。一定間隔で巡礼者が次々と通り過ぎていく。
1時間ほど歩くと霧も綺麗に晴れる。
本格的な未舗装路に差し掛かるが、ル・ピュイの道ではまだまだましな方。
これからは怪我人も続出するくらいのとんでもない悪路が続く。
農場の馬。
巡礼路上には数キロおきに村があり、そこで休憩やお店がある場合は食料などを買い込む。
岩場にもしっかりとつけられた白と赤のマーク。
これから何百回と見ることになるけど、付ける人も大変だったろうな。
じゃん!
実は町で道が分からず迷っていた時、スーパーに立ち寄りついでに買っておいたチョコビスケット。
これを今日の携行食とする。
ル・ピュイの道は多くの巡礼者が歩くにも関わらずとんでもない悪路が多い。
初日からげちょげちょの泥道に差し掛かり、心が折れそうになる。
買ったばかりの靴が泥だらけになってしまう。
来るんじゃなかった…
ところがどっこい!
大抵こういう悪路では先人たちが作ってくれた迂回路がある。
この道でもすぐ隣に草をなぎ倒してできた迂回路があったのでそこを使わせてもらった。
道なき道や生い茂る草むらに踏み出した最初の一人はまさに英雄。
ル・ピュイを8時に出ると丁度お昼あたりに差し掛かることになる村「Montbonnet|モンボネ」
みんなここで休憩をとっていたので自分もビスケットとコーラで小休止。
ここまでだいたい15km歩いてきたがさすがに荷物が重すぎて肩が痛い。
足はビックリするほど問題ない。
日本を出る前なんかは週4でハーフマラソン走っていたしね。
トイレを借りるついでにコーラ1本を購入。
小さいので2ユーロ…
田舎の個人商店というのもあるだろうけど、フランスの物価超高い。
休憩後、
これぞフランスの田舎
といった感じの道をひた歩く。
お分かりの通り、巡礼とはただひたすらに歩くだけ。
ちなみにモンボネを出発後は、疲れ知らずの自分がほぼ先頭を歩いていた。
肩が痛いのでバックパックを降ろして休憩。
衣類、寝袋、茶葉、ノートPC、一眼カメラ、食料、その他諸々。
あまりにも不必要なものが満載のバックパック。
巡礼を行う人は、これだけをやるために来るので荷物は最小限に抑えている人がほとんど。
一方私は海外を放浪している途中なので、これほどまでに荷物が多い。
道なのか分からない山の中を抜けると、
午後2時半、初日の目的地「Saint-Privat-d’Allier|サン=プリヴァ=ダリエ」に到着。
宿を予約していなかったので、予め目星をつけていた巡礼宿に行くも、この日は満室とのこと。
他の巡礼宿に行ってみてもどこも答えは同じ。
フランスでは5月末に大型連休があり、それが丁度この時期。
この連休中にル・ピュイ~コンクまで歩くというフランス人巡礼者が多く、そのためこの時期は宿が圧倒的に不足しているんです。
つまり、泊れる場所が無いので次の村へ移動。
7kmほど歩き次の村「Monistrol-d’Allier|モンストロル=ダリエ」に到着。
時刻は4時、ここでも何軒か宿を訪ねたがどこも満室。
少し焦りを感じ始めたところで空きがある宿を発見。
少し値段は張るが夕食付き。ここ以外に泊れる保証はないしもうここしかない。
何よりさすがに疲れているしね。
肩超痛い。
コレ大丈夫、血出てない?
そもそもこの村巡礼2日目に通ったりする場所だしね。初日から飛ばし過ぎ。
肩の痛みを訴えながらシャワーで汗を流し夕食へ。
夕食はチキンカレー?のようなメニュー。
味付けは薄目で質素な感じ。
フランスといえば美食のイメージがあるけど、一般的な家庭の食事はかなり質素らしい。
日本人が毎日寿司やすき焼きを食べていないように、フランス人も毎日フレンチ食べている訳ではない。
幸い足の裏の皮は向けてないし全然大丈夫そうだけど、さすがに体がちょっと重く明日から大丈夫か不安になる。
8時には床に就く。
巡礼1日目終わり
ル・ピュイ=アン=ヴレ→モニストロル=ダリエ:移動距離31km
ル・ピュイの道では宿の予約しないといけないっぽいし、準備不足と始める時期も大型連休と被ってしまったのも運が悪かった。
いくら体を鍛えているとはいえ、日本を出てから半年経ち、その間は何もしていなかったので、初日はちょっと疲れた。
まあすぐ慣れるだろう。
肩は痛いが足は問題無さそう。
モニストロル=ダリエの宿 | |
名前 | Le Repos du Pelerin |
住所 | Rue des Jacquets, 43580 Monistrol-d’Allier, フランス |
料金 | ドミトリー、夕食付35ユーロ |
設備 | WiFi、売店 |