イランが誇る栄光の歴史、古代都市ペルセポリス観光【アクセス方法・入場料・見どころ紹介】

こんにちわ、ワラビです。

シーラーズ観光のラストに訪れたのが今回紹介する世界遺産の「ペルセポリス」。

世界史にも出てくるアケメネス朝ペルシアの最盛期に建設された宗教都市で、ヨルダンのペトラ遺跡、シリアのパルミア遺跡と並び中東の3P遺跡と呼ばれる有名な遺跡なんだそう。

ペルセポリスという名前は、アケメネス朝を滅ぼしたギリシャ側での呼び方、イランでは「タフテ・ジャムシード」と呼ばれ、ペルセポリスという名前はあまり通じないので注意。

この記事ではアクセス方法やペルセポリスの見どころを紹介していきます。

中東の3P遺跡ペルセポリス

ペルセポリス」は、アケメネス朝ペルシアの最盛期にダレイオス1世の治世に建設が開始された宗教都市。帝国全土から人材と資材を集め莫大な費用を投じ、3代の王を経て完成まで60年の期間を要しました。

高度な技術を集めて作られ、春分の日に行われた「新年の大祭」の宗教儀礼の場として利用されていた。

名前には「ペルシア人の都」という意味があるのですが、これはアケメネス朝を滅ぼしたギリシャ側からの呼び名で、ペルシャ語では「タフテ・ジャムシード」と呼ばれています。

最盛期には23の属州と35の民族を支配し、古代オリエント全土を支配する圧倒的な力がありましたが、度重なる戦争で疲弊、紀元前330年にアレクサンドロス大王率いるマケドニア軍によりアケメネス朝が滅亡、ペルセポリスも炎上し廃墟になりました。

ペルセポリス」として世界遺産に登録。

アクセス方法

ペルセポリスへのアクセスはシーラーズからになります。シーラーズからは約60km離れていますが、行き方は以下の3つ。

  • タクシー(チャーター)
  • Snapp(イランの配車アプリ)
  • ローカルバスとタクシーの乗り継ぎ

タクシーをチャーターする場合は遺跡での待ち時間2時間も含めて往復10ドル(固定相場)。

イランの配車アプリSnappでは片道1,500,000IRR(3ドル)が相場。

シーラーズのバスターミナルからマルヴタシュトという街まで行き、そこからタクシーに乗り換えていく方法もありますが、基本的に料金はSnappを使った時と変わらないのでこの方法は使う意味がないと思われます(実体験)。

入場料

ペルセポリスの入場料は1,000,000IRR

2023年5月のレートで250円くらいでした。

遺跡内にある考古博物館は入場料が別途100万イランリヤル必要になります。

ペルセポリス観光の見どころ

敷地は長辺450m、短辺300mと数字で見る限りはそこまで大きく感じませんが、敷地内には多くの建造物が残されているので全部見て周るとかなりの時間が必要。

観光の目安は一般的なツアーで普通に見て2時間、敷地内の博物館も含めすべて見て周る場合は3時間ほど。

日差しを遮る場所は少なく夏はかなりキツメ。遺跡内には超高額な売店あり。

大階段

入り口にある「大階段」から観光はスタート。

基壇の上へと続く幅7m、111段の階段。馬車が登れるように階段の高さは10㎝で緩やかな勾配になっています。自然地形を利用したものではなく、人工的に20mまで石を積み上げてくられたというのだから驚き。

ペルセポリスを作るために大量の物資と資金が投入され、「王の道」と呼ばれる、全長2700kmにも及ぶ道路網も整備されたそう。

帝国各地からやって来た朝貢団が馬車をガタガタさせながら登ったであろうこの階段。

ペルセポリスは宗教儀礼のために作られた都市なのでこのような作りになっていますが、普通の都市であれば入り口が階段しかないなんて不便極まりない。

エレベーターの無い高層ビルくらい不便。

クセルクセス門

大階段を登るとそこにはダレイオス1世の息子、クセルクセス1世の名を冠した巨大な門「クセルクセス門」。「万国の門」という別名も。

もとは16m以上の高さの柱4本によって天井が支えられ、両脇は土壁で覆われた通路上の建物だったそうです。

正面には人面有翼獣神像があり、顔部分はイスラム教の偶像崇拝に抵触するため破壊されています。

一神教でありながら他の宗教も認めるし、歴史的にもだいぶ平和的な宗教ですが、偶像崇拝だけは絶対に許さないイスラム教。

発掘者の落書き?

今でこそずいぶんと日当たりと風通しのよい状態になっていますが、かつてはこの両脇に壁、上には天井があったというから驚き。

壁は分からなくはありませんが、この上にどうやって天井をのっけたのでしょう?

玉座殿

ペルセポリスではアパダナに次ぐ規模の宮殿「玉座殿」。

地面にぽんぽこあるひっくり返した茶碗のようなものは全て柱の基礎。なんとこの広間には全部で100本の柱があり天井を支えていました。

遠目から見るとこのようになっています。

柱の高さは分かりませんが、昔はこの場所全てが天井で覆われていたということ。

入り口には古代ペルシアで信仰されていたゾロアスター教の最高神「アフラ・マズダー」のレリーフが彫られています…が、何個もレリーフがありどれがアフラ・マズダーなのか不明。

ここもクセルクセス門の獣神像と同じく顔部分が削られています。

削られているには削られているのですが、イランにおいて重要なゾロアスター教のレリーフだけあって削り方が大分マイルドになっているような気もする。

偶像崇拝は絶対に許さない、

けど、ゾロアスター教には手心を加える。それがイスラム教。

タチャラ

ペルセポリスの建設を開始したダレイオス1世の宮殿「タチャラ」。

残念なことに周囲にはバリケードが作られ近づくことが出来ません。基壇側面にペルシア兵の浮彫があるそうでそれが見どころ。

ペルシア兵のレリーフはさておき獅子と牡牛が戦いを繰り広げていました。

アパダナ

帝国各地から訪れる朝貢使節団を迎えた謁見の間「アパダナ」。110m四方のペルセポリス最大の宮殿。

高さ20mの柱が72本ありましたが、現在は十数本ほど。

宮殿跡にはほとんど残っている物はなく非常に寂しいことになっていますが、基盤にある階段にはエジプトやシリアなど35民族の朝貢使節団のレリーフが残され大きな見どころ。

列をなしてゾロゾロと歩く朝貢使節団、日本の大名行列みたいな感じ?

ここに掘られている朝貢使節団たちにより莫大な富が献上され、アレクサンドロス大王がこの地を滅ぼした際には、ロバ1万頭とラクダ5先頭を使って財宝を運び出したとされています。

階段にあるレリーフは膨大なもので、全部で数百以上あり顔も削られること無く残っているものがほとんど。

偶像崇拝は絶対に許さない、だけども顔が削るのが面倒なこともあるイスラム教。

考古博物館

敷地内にある「考古博物館」。ペルセポリスの入場料とは別に100万イランリヤル必要ですが、クーラーが効いているので涼むのに丁度いい場所。

展示品は主にペルセポリス遺跡の出土品ですが、都市についての詳しい説明もあるので意外と学びあり。

アパダナの階段に掘られた朝貢使節団のレリーフについても詳しい解説があり、どこに何の民族が彫られているのかも説明されています。

23の属州から35の民族、有名なところだとエジプト、ギリシャ、シリア、インド、トルコ、アルメニアなどなど歴史に名を轟かす国々すら支配していた歴史的大帝国アケメネス朝ペルシア。

なるほどね、確かにこれはイラン人が誇るわけですよ。

アルタクセルクセス3世の墓

ペルセポリスの背後の山肌に作られた「アルタクセルクセス3世の墳墓」。

正直この墳墓自体は大したことなく観光客もほとんどやってこない場所なんですが、

このような感じで遺跡を一望できるようになっています。

遺跡内には柱と門しか残っていない。かつてはこの柱の上に天井があり、巨大な建造物になっていたというのはちょっと想像が難しい。

観光を開始してからここに至るまで3時間ほど、まだ春といえ気温は25度以上。

まあまあしんどい。一通り見終わったのでここらで帰ることに。

ナクシェ・ロスタム

ペルセポリスの周辺にはいくつか遺跡があるのですが、中でも規模が大きいのが「ナクシェ・ロスタム」、ペルセポリスから6kmほど離れタクシーで50万イランリヤル(1ドル)くらいでアクセス可能。

アケメネス朝ペルシアの王の墳墓とササン朝時代のレリーフが彫られた遺跡。入場料100万イランリヤル。

ペルセポリス観光では予想以上に時間がかかり既に夕暮れ時。シーラーズまで帰るのも結構時間がかかるので足早に観光を済ませる。もともと見る場所がそんなに多くないので、15分ほどで観光はお終い。

午前10時ごろにシーラーズを出発し戻ってきたのは7時ごろ。

私は遺跡をじっくり見て周ったのですが、普通に見ても観光は1日がかりになるかと思います。

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