こんにちわ。わらびです。
カンボジアといえば、アンコール・ワットをはじめとする巨大な遺跡群を思い浮かべる人が多いと思います。
しかし、シェムリアップ周辺には、遺跡とはまったく違った意味でカンボジアという国を知ることができる場所があります。
それが今回紹介する「アキラ地雷博物館」。
かつて少年兵として地雷を埋めた人が、大人になって地雷を撤去する。カンボジアの長い内戦と、そこで少年兵として生きるしかなかった一人の少年の人生。
今回は、そんなアキラさんの人生と、今もカンボジアに残されている地雷について、実際に博物館を訪れてきたので紹介していきます。
アキラ地雷博物館とは?

「アキラ地雷博物館」は、シェムリアップ近郊にある、地雷問題について学ぶことができる博物館です。
博物館を設立したのは、元少年兵の「アキラ」さん。
幼い頃からクメール・ルージュやベトナム軍の兵士として戦い、その中で数多くの地雷を埋設してきました。しかし戦争終結後、自らが埋めた地雷によって苦しむ人々の存在を知り、今度は地雷を撤去する活動へと人生を捧げることになります。
館内には、アキラさん自身が撤去した地雷や不発弾、武器などが数多く展示されています。ただし、ここは単なる戦争博物館ではありません。
カンボジアでは、内戦が終結してから数十年が経った現在でも、地中に残された地雷による被害が続いています。
かつて地雷を埋めた少年兵が、今度は地雷を取り除く側となった。地雷博物館は、戦争の傷跡と、地雷問題の現実を後世に伝えるための場所なのです。
アクセス方法
アキラ地雷博物館はとある理由で、シェムリアップから北東に30kmほどの場所にあります。
アクセスするとしたら、バイクのレンタルかトゥクトゥクのチャーターしてアクセスするのが一般的。
バンテアイ・スレイ遺跡に向かう途中にあるので一緒に訪れましょう。
入場料
地雷博物館の入場料は7$。
博物館の収益は、彼の組織したNGO団体の活動費に充てられます。
アキラさんについて
地雷撤去を行うまで

1973年カンボジアシェムリアップで生まれたアキラさん。
彼の父親は教師だったため、知識人を危険視していたクメール・ルージュによって殺害されてしまいます。1978年、まだ5歳のころでした。
その後、10歳になるとアキラさん自身は、両親を殺害したクメール・ルージュに加わり、少年兵として戦うことになります。
そこで彼に与えられた任務が、地雷の埋設でした。来る日も来る日も多くの地雷を、自らの手で地中に埋めていきました。
15歳の時、ベトナム軍に捕らえられますが、まだ少年だったこともあり、処罰を受けることはありませんでした。その代わり、今度はベトナム軍側の兵士として戦うことになったのです。
そして、そこで任された仕事もまた、地雷の埋設でした。命じられるがまま沢山の地雷を埋めていきます。深く考えず、それがどんな悲劇を生むかも知らず。
ある日、立ち寄った村にいた一人の女性からこう言われます。
「私の夫は、お前たちが埋めた地雷で亡くなった。家畜も死んだ。」
その言葉を聞いた時、アキラさんは初めて、自分が行っていることに罪悪感を覚えました。
そして、その女性の顔を忘れることができなくなったといいます。
ある日の晩のこと。いつものように、仲間とともに地雷の埋設作業を命じられました。
しかし、あの女性の顔が頭から離れません。
そして彼は決意します。
「もうこれ以上、地雷は埋めない」
アキラさんは、安全ピンを抜かないまま、持っていた地雷をすべて一つの穴に埋めました。
これが、彼にとって初めての「地雷との戦い」の第一歩でした。

戦争が終わった後、アキラさんは読み書きができなかったこともあり、なかなか仕事に就くことができませんでした。
そんな彼に、日本の国連平和維持軍の職員が声を掛けます。
「君が地雷を埋めてきた経験は、これからの地雷処理に必要なんだ」
こうしてアキラさんは、今までの経験を活かして地雷の撤去活動を手伝うことになります。
考えてみれば、彼はこれまで何百、何千もの地雷を埋めてきました。いわば、地雷の扱いを熟知したプロフェッショナルでもあったのです。
周囲の地形や状況を見れば、「この場所なら、おそらくこういう場所に地雷が埋められている」ということを予測することができました。
かつて地雷を埋めていた少年兵は、今度はその地雷を取り除くために、自らの経験を使うことになったのです。

無償で地雷を撤去し続けたアキラさん。彼の活動が評価されCNNが選出する「世界のヒーロー10人」にも選ばれましたが、果たして彼は本当にヒーローなのでしょうか?
アキラさんは、かつて自らの手で大量の地雷を埋めていました。
それによって、実際に多くの人が傷つき、命を落としたことも事実です。
もちろん、彼自身も戦争の被害者です。
幼いころに父親を殺され、10歳という年齢で少年兵となり、自分の意思とは関係なく戦場へ送り込まれました。
それでも、彼が埋めた地雷によって誰かが傷ついたという事実まで消えるわけではありません。
だからこそ、戦争が終わった後にアキラさんが選んだ道には、単純な「善と悪」では片付けられないものがあります。
「アキラ」という名前について
この「アキラ」という名前、実は本名ではありません。幼いころに両親を失ったため、実は本名を覚えていないそうです。
両親の死後、クメール・ルージュの訓練キャンプ、配属先の部隊、そしてベトナム軍など、さまざまな組織や場所を渡り歩いてきました。
名前のない彼は、その都度周囲の人々からさまざまなニックネームを付けられていたそうです。
現在使っている「アキラ」という名前、これは、日本人の支援団体の職員によって付けられた名前だそう。
そして、これまでに呼ばれてきた名前の中で、この「アキラ」という名前が一番気に入ったため、現在まで使い続けているといいます。
政府との戦い

アキラさんの地雷博物館は、もともとアンコール・ワットのすぐ近くにありました。
その後、カンボジア政府が戦争博物館を建設する際、アキラさんが撤去した地雷や不発弾を展示したいと申し出ます。
しかし、アキラさんはこれを拒否しました。
すると今度は、
「遺跡の近くに、戦争を想起させる博物館があるのはふさわしくない」
という理由で、博物館に移転命令が出されます。
アキラさんは新たな土地を購入し、移転の申請を行いました。
しかし今度は、「まだ遺跡に近すぎる」という理由で申請が却下されます。
さらに遠くの土地を購入し、再び申請…、しかし、それもまた同じ理由で却下されました。
政府としては、「何度も土地を買い続けるだけのお金は、彼にはないだろう」と考え、嫌がらせをしていたのではないかといいます。
しかし、アキラさんは諦めませんでした。
そして3度目。現在の場所に土地を購入し、再び申請を行います。
すると、ついに許可が下りました。これには政府の職員たちも、驚いていたそうです。
展示の内容
博物館の展示には撤去した地雷や不発弾、投棄された武器などが多くあります。
ここでは特に印象的だった展示を紹介していきます。
被害に遭った子供たちの絵
まず、博物館の最初のほうに展示されており、多くの人が衝撃を受けるのが「地雷の被害に遭った子供たちの描いた絵」。


絵の外側に描かれているのは、もし地雷の被害に遭わなかったら、自分が将来なりたかった姿。
リポーターやデザイナーでしょうか?
子供たちが思い描いていた、ごく普通の未来がそこには描かれています。


しかし、絵の内側を覗くと、そこには一変した光景が描かれています。
地雷を踏んだ瞬間の様子です。
地雷は、一度埋めてしまえばコストが低く、管理する必要もありません。
兵士のように食料や給料も必要なく、敵に直接攻撃を加えなくても、その国の人々や経済に長期間にわたって被害を与え続けます。
ポル・ポトは地雷について、
「地雷は最も優秀な兵士だ。眠らないし、食事も要求しない。ただじっと命令を待っている」
と評したとされています。
カンボジア国内には、内戦中に数百万個もの地雷が埋設されたと推定されています。
そして戦争が終わってから数十年が経った現在でも、多くの地雷が地中に残されており、その正確な数を把握することはできていません。
カンボジアは、世界でも有数の地雷汚染国となっています。
地方に暮らす人々にとって、地雷原は遠い戦場の話ではありません。
自分たちが暮らす村のすぐ近くに、今も地雷が埋まっている。日本人からすれば、とても想像することのできない環境です。
さらに問題なのが、雨季です。
カンボジアでは大量の雨によって洪水が発生することがあり、その際、地中に埋まっていた地雷が流され、地雷撤去が完了した地域に再び流れ込むケースもあります。
どこに地雷があるのか。
一度安全になったはずの土地が、再び危険になることもある。カンボジアにおける地雷撤去は、現在も困難を極めています。
撤去された地雷



地雷がどうやって爆発するのか?
多くの人は、踏んだら「カチッ」となり、足を離してしまったら爆破する…、映画などでよく見るのでそうイメージするでしょう。
ですが実際には、地雷を踏んだ瞬間に爆破してしまいます。足を離して爆破するというのは映画の演出でしかありません。そもそも解除できる余地を残した兵器など欠陥品でしかないのです。
効率よく人を傷つけることができ、前線から敵を排除、士気も下げ、経済にも打撃を与える。
生産コストが非常に低く得られるメリットがあまりにも大き過ぎる。これが地雷が多く埋められる最大の理由です。


アキラさんは地雷撤去のプロフェッショナル中のプロフェッショナル。なんと、今まで一度も爆破させることなく5万個の地雷を掘り起こしてきました。
ただ、彼のように地雷を爆破させることなく掘り起こし続けるというのは至難の業。普通の人ではリスクが高すぎるためそもそもそんなことはできません。
自分が埋めた地雷によって多くの人が傷ついたことへの償いとして、無償で地雷の撤去を行っていました。しかし現在では、個人で地雷撤去を行うことが禁止されているため、小さなNGO団体を組織して活動を続けているそうです。
また、かつては素手で地雷の処理を行っていましたが、現在は国際的な地雷処理の基準に従い、爆破による処理を行っているとのことです。
地雷撤去のデモンストレーション

博物館の一角では、実際にどのように地雷除去作業をするのか?というデモンストレーションが行われています。
木の杭を地面に建て、そのスペース内を金属探知機で地雷を探す。そして少しずつ安全地帯を広げていく。
これを何度も何度も繰り返し、地道に地雷を探していきます。

反応があれば表面の土を払いそれが地雷か確認し、後は爆破処理します。
1日に進める距離は十数メートルほどとされ、カンボジアの大地でこの先何年も、年十年もこれを繰り返し安全地帯を広げていかなければなりません。
おわり
アキラ地雷博物館は、決して「楽しかった!」と言えるような観光スポットではありません。
大量の地雷や不発弾を目の前にすると、戦争が終わったからといって、すべてが終わるわけではないことを実感させられます。
そして何より印象に残ったのが、かつて自分の手で地雷を埋めていたアキラさんが、今度はそれを取り除くために人生を捧げているということ。
もちろん、過去に埋めた地雷がすべて彼一人の責任というわけではありません。
彼自身もまた、幼い頃に戦争に巻き込まれ、少年兵として生きることを強いられた側の人間。
アキラ地雷博物館は単なる地雷の博物館ではなく、戦争によって人生を大きく変えられた一人の人間が、その戦争の後始末を続けている場所なのだと感じます。














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