こんばんわ。わらびです。
今回の記事では「バンテアイ・クデイ遺跡」について紹介していきます。
アンコール遺跡群の中でも規模が大きく観光での人気が高いのはアンコール・ワット、バイヨン寺院、タ・プロームなどでしょう。
正直、これらの有名な遺跡と比較すると、バンテアイ・クデイは規模や彫刻の華やかさでは一歩譲りますし、そもそも知らないという人も多い事でしょう。
しかし、この寺院はアンコール遺跡群の歴史を大きく書き換える発見があった場所です。
アンコール遺跡観光をより深く楽しむためには、絶対に押さえておく遺跡の一つ。
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バンテアイ・クデイ遺跡とは?

バンテアイ・クデイは、クメール王朝では珍しく、仏教を篤く信仰した王ジャヤヴァルマン7世によって建立された寺院です。
タ・プロームやプリヤ・カーンと同じく大乗仏教寺院として建てられましたが、砂岩の品質があまり良くなかったことや、その後十分な修復が行われなかったことから、現在は崩壊が進んだ姿を見ることができます。

四重の回廊や十字テラスを備える堂々とした造りですが、アンコール・ワットやバイヨン寺院ほど華やかな装飾はなく、観光客からすると「しっかり見る価値の無い遺跡」と思われてしまうかもしれません。




しかし、この静かな寺院は、クメール王朝の歴史を考える上で極めて重要な発見があった場所でもあります。
2001年、この寺院で行われた保存修復の研修中、274体もの仏像が地中から発見されました。この発見は、800年前に起きた廃仏毀釈の実態や、人々の信仰を知るうえで貴重な手掛かりとなり、アンコール史に残る大発見として世界中の研究者から注目されました。
クメール王朝の歴史に迫る大発見

バンテアイ・クデイ遺跡を語る上で欠かせないのが地中から発掘された大量の廃仏像。
2001年、上智大学が率いるチームによる研修作業の最中、アンコール史に残る大発見がありました。
シヴァ信仰の王ジャヤヴァルマン8世、彼の治世では一部の過激なシヴァ派勢力によって仏教への反発が強まり、クメール史上でも類を見ない廃仏毀釈、仏教に対する大破壊事件が起きたとされています。
寺院や仏像は次々と破壊され、仏教を篤く信仰した前代、前々代王の時代に刻まれた碑文でさえ、その多くが失われました。


今日アンコール遺跡を歩くと、首のない仏像、削り取られた彫刻を数多く目にしますが、その多くはこの時代の出来事によるものだとされています。
ところが、このとき発見された仏像は、壊されて無造作に捨てられていた訳ではありません。

仏像と仏像の隙間には丁寧に土砂が詰められ、立像は立ったまま、脇仏まで寄り添うように納められていたのです。
そこには、ただ廃棄したとは思えないほどの痕跡があったのです。
王命によって破壊を命じられながらも、せめて敬意を払おうとした人がいたのかもしれません。あるいは、打ち捨てられた仏像を見過ごせなかった篤い信仰心を持つ村人たちが、静かに埋納したのかもしれません。
真実は誰にも分かりません。
けれど、この発見があった場所、その時代背景は、偶然とは思えないほど象徴的でした。
この発見がされたのは、ポル・ポト政権によって壊滅的な打撃を受けたカンボジアの文化財保護を立て直すため、日本とカンボジアが共同で進めていた遺跡保存官育成プロジェクトの研修中でした。
知識も技術も未来も奪われた時代から立ち上がろうとしていた若者たち。そんな新しい時代への希望を胸に歩み始めた若者たちの前で、800年の眠りについていた仏像は再び姿を現しました。
それは単なる歴史的発見ではありません。
800年前にカンボジアの地で起きた仏教に対する大破壊事件。その時誰かが未来へ託そうと静かに土の中へ納めた仏像を、今度はカンボジアの若者たちが自らの手で取り上げたのです。
その事実には、不思議な巡り合わせを感じずにはいられません。
カンボジアの歴史は決して平坦なものではありませんでした。
隣国からの侵略、度重なる都の遷都、国家存亡の危機、植民地支配、そしてポル・ポト政権という悲劇。

それでも、この国は幾度となく失われかけながら、その歴史と文化を途切れさせることなく今日まで受け継いできました。
遠い昔、仏像を土へ埋納した人々もまた、いつか誰かがこの信仰を受け継いでくれる日を願っていたのでしょうか?
その願いに応えるように、800年後、同じカンボジアの地で10名の若者たちがその仏像を掘り起こしました。
歴史とこの国の魂は途切れなかった。そう思えた瞬間でした。
発掘場所
この寺院で歴史的大発見がされたことを知っていても、その正確な場所まで知っているという人までは中々いません。
私は石沢良昭先生の著書を読んでいたので、その場所を訪れることが今回の旅行の目的の一つでした。

発掘地点は、東塔門から参道を約170m進んだ先、十字テラス手前の北小祠前です。
現地を歩いていると、多くの観光客はそのまま通り過ぎてしまいます。
しかし、この場所こそアンコール史を語るうえで最も重要な発掘地点の一つなのです。


祠の形を見てみると同じ場所というのが簡単に分かりますね。
遺跡の発掘は、地形や文献をもとに調査計画を立てて行われます。
しかし、この発見は誰も予想していませんでした。偶然スコップを入れたその場所から、800年間眠り続けていた仏像が次々と姿を現したのです。
今では静かな遺跡の一角ですが、その場所に立つと、「歴史はまだ地中に眠っている」ということを実感させられます

かつて歴史的大発見があった場所に立ち、800年前の出来事に思いを馳せる。
巨大で壮麗な石造建築や、精巧に刻まれたレリーフの数々。それらもアンコール遺跡の大きな魅力ですが、この地の本当の魅力はそれだけではありません。
地中にはまだ誰にも発見されていない歴史が眠っているかもしれない。そんなロマンもまた、アンコール遺跡ならではの魅力ではないでしょうか。
シハヌーク・イオン博物館

さて、バンテアイ・クデイを訪れたのであれば、ぜひセットで訪れてほしい場所がもう一か所あります。
それが「シハヌーク・イオン博物館」です。
名前に「イオン」と付いていることから驚く方もいるかもしれませんが、この博物館は日本のイオングループの支援によって建設されました。




最大の見どころは、バンテアイ・クデイ遺跡から出土した仏像が展示されていることです。そもそもこの博物館は、それらの仏像を保存・公開するために建設された施設であり、この発見がいかに歴史的価値の高いものであったかを物語っています。
発掘現場で800年の眠りから目覚めた仏像を実際に目の前にすると、教科書や写真では伝わらない迫力を感じられるはずです。バンテアイ・クデイを訪れた後で見学すれば、発掘の物語をより深く理解できるでしょう。

館内には、「Ishizawa Library」も併設されています。
これはアンコール研究の第一人者であり、カンボジア人遺跡保存官の育成に長年尽力してきた「石澤良昭」氏の名を冠した資料室です。アンコール遺跡の歴史や保存活動に関する資料が収蔵されており、今回紹介した歴史的大発見の背景をより深く知ることができます。
おわり
アンコール遺跡群を巡るなら、ぜひバンテアイ・クデイにも立ち寄ってみてください。
観光だけなら30分ほどで見学できる寺院ですが、その歴史を知って歩けば、一つひとつの石積みや静かな境内の見え方がきっと変わります。
そして見学後は、シハヌーク・イオン博物館へ。発掘現場と出土した仏像を続けて見学することで、800年前から現代へと続く歴史の物語をより深く感じられるはずです。
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非常に熱心なシヴァ信仰の王ジャヤヴァルマン8世の治世では、それまでジャヤヴァルマン7世によって国教として栄えていた大乗仏教から、ヒンドゥー教への回帰が進められた。その過程で、一部の過激なシヴァ派勢力による仏教への反発が強まり、クメール史上でも類を見ない廃仏毀釈が行われたと考えられる。
その背景には、ジャヤヴァルマン7世が仏教を篤く信仰し、クメール王朝の最盛期を築いた一方で、度重なる対外戦争や大規模な寺院建築によって国家財政や民衆に大きな負担を強いたことへの反発があったともされる。
かつては、ジャヤヴァルマン7世の政策が国家財政を疲弊させ、そのまま王朝滅亡の原因になったと考えられていたが、近年では、ジャヤヴァルマン8世は財政の立て直しを図り、疲弊した国家を再建した有能な統治者であったと評価されている。