こんにちわ。わらびです。
金曜モスクから始まり、イマーム広場のシャー・モスク、シェイフ・ロトフォッラー・モスクなど連日休む間もなく歩き続けた長きにわたるイスファハーン観光もいよいよあと少し。
最後に向かうのは南側のジョルファ地区にあるアルメニア正教会。
1カ所目はベッカムチャーチに行き、次は最も多くの観光客が集まる「ヴァンク教会」へと訪れます。
とうとうこれにてイスファハーン観光もお終い。
- テヘラン
- コム
- カーシャーン
- ヤズド
- ケルマーン
- マシュハド
- シーラーズ
- イスファハーン
- シューシュタル
- ケルマーンシャー
- ウラマナト
- アルダビール
- タブリーズ
この記事の情報は2023年5月時点でのものになります。
もくじ
ジョルファ地区の「ヴァンク教会」
イスファハーンの南側、ザーヤンデ川を渡った先にあるジョルファ地区。そこには13のアルメニア正教会があり、中でも有名なのが「ヴァンク教会」と「ベッカムチャーチ」のふたつ。
ガチガチのイスラム教国家のイランにキリスト教の教会がなぜ?
と思う方もいるかもしれませんが、イスラム教は一神教でありながら、誕生当時から他の宗教を認め共存してきた宗教なので特におかしいことではありません。
アルメニア人が多く住む「ジョルファ地区」
今回訪れたアルメニア正教会のある「ジョルファ|Jolfa」地区。今でも多くのアルメニア人が住みどことなく他のエリアとは違う雰囲気を醸し出すそんな場所。
この地区ができるきっかけは16世紀、シャー・アッバース1世の時代になってから。
まあこれはとんでもない話で、シャー・アッバース1世はオスマン帝国との戦いが激化する中敵の進軍を妨害する目的で、補給拠点となる可能性のあったアルメニア南部のアララト地方を徹底的に破壊。
当然、街が焦土と化したので多くのアルメニア人たちが行き場を失います。その後彼らをイスファハーンに強制移住(その途中で多くの死者が発生)させ、そして出来たのがこのジョルファ地区。
…なんとも酷い話である。
幸い、当時のアルメニア人たちは優秀な商人として名を轟かし「アルメニア人は世界一優秀な商人」や「アルメニア人の関わらない貿易は存在しない」とまで称えられ、その能力が認められ減税や信仰の自由といった優遇措置を受けるのですが…
どう考えても、自分たちの故郷を破壊し、多くの同胞を殺害した仇敵サファヴィー朝に根を下ろすなんてちょっと信じがたいお話。
ヴァンク教会のはじまりは1606年、今とは違い小さな教会があり名前も「ヤコブ教会」でした。
多くの聖職者たちがここで訓練を受け50年ほど使用されたのち、1655年から10年の拡張工事が行われ1665年に現在の形になりましたとさ。
営業時間
ヴァンク教会のオープン時間は午前と午後に別れ、以下のようになっています。
自分はお昼の閉館時間中に行ったので1時間以上待つことになりました。
入場料
ヴァンク教会はキリスト教施設なので、イラン政府が関与していないのか入場料はちょっと高めの2,000,000IRR。
イラン政府の管理する施設では大半が1,000,000IRR。つまりは2倍。
これはイスファハーンの中でも特に高い部類、自分の知る限りでは最高額。
※50万リヤル=1USD
ヴァンク教会の見どころ
ベッカムチャーチとは違いイスラムとアルメニアの教会様式が混ざったような造り。
教会にはドーム屋根とアルメニアっぽいとんがり屋根と鐘楼。
一般的なアルメニア教会は石を積み重ねて作ってるのに対し、ここではレンガ造り。単純に建築に適した資材が無かったのかな?
ぱっと見何の宗教施設なのか分からない。
もとは小さい教会で拡張工事が行われ今の形になったということから分かるように、少なくともモスクなどを改修していないことは確か。
最初からイランのイスラム様式に似せて教会を作ったということ。
イスラッミクなドームの天辺にはキリスト教らしく十字架と鳥。
壁画と装飾
ベッカムチャーチもそうでしたが、ここも教会内が壁画と装飾で埋め尽くされています。
壁画のスケール的にはヴァンク教会のほうが上というか圧巻。
この圧倒的な光景を前に感動し涙の一粒でも流れおちる…、
ところがどっこい、ベッカムチャーチのほうで充分に見てきたし、何よりこちらは観光客がごっちゃりしてて落ち着いて見れるような状況ではありません。
本当に凄いけどさすがに2度目ともなるとさすがにアレだよね。
見どころは壁画以外にもあるので、ここは軽く流し見してそちらの方へ。
博物館
ヴァン教会の敷地内にある博物館。
教会内を埋め尽くす壁画もそうですが、ここに展示されている「あるもの」も有名。
第一次大戦時のオスマン帝国によるアルメニア人虐殺関連の資料。
下にある国旗がこの虐殺を有罪と認めた国で、トルコと仲が悪いギリシャやシリア、その他のキリスト教国家。顔ぶれを見ると非常に政治的な匂い。
虐殺被害者の遺骨。
この博物館で有名なあるものを探してウロウロ
もしかしてこれかな?
と思っても違ったりと、お目当ての「あるもの」が持つ性質上探すのが難しい。
世界一小さい聖書
あれでもないこれでもないと探し回りとうとうお目当ての「あるもの」を発見。
この博物館で特に有名な「あるもの」というのが、世界最小の聖書
重さは0.7gで全14ページ。中には7つの言語で「主の祈り」という祈祷文が書かれています。
大きさは小指の爪よりも小さく、イマイチサイズ感が伝えきれません。
強いて言えばガンプラにある小さめのパーツ。
アップで写すと画質がガビガビになり、これでいかに小さいかが伝わるかと。
他の展示品同様ショーケースの中に展示されていますが、小さすぎて危うく見落としてしまいそうになるくらい小さい。
もっとデカデカと展示していただきたい。
少なくともこれが家に落ちていたらゴミとして捨ててしまうことは間違いなし。
毛髪に書かれた文字
最小聖書に続きもう一つの見どころ、
それが聖なる顕微鏡…、ホーリーマイクロスコープである。
嘘、この顕微鏡を使わないと見ることのできない毛髪に書かれた文字。
細さ0.1㎜の毛髪に聖書の一説が書かれています。
顕微鏡をのぞくなんて中学校の理科の授業以来、まさか再び使う時が人毛に書かれた文字を見るためにだとは、人生何があるか分からないものである。
若い女性の毛髪を顕微鏡で観察するという、ハイレベルな変態プレイをしたところでヴァンク教会観光はお終い。
おわり
これにてヴァンク教会、並びにイスファハーン観光も終幕。
しかし、最後の最後でうら若き乙女の毛髪観察という高度な変態を披露することになろうとは…
しかしよく考えてみると、あの毛髪の持ち主は1974年時点で18~20歳だったそうなので、2023年時点では約70歳。
つまり、高齢女性の毛髪を顕微鏡で観察するというより高度な変態ということになる。
イスファハーン観光の締めくくりだというのに何という終わり方だコレは?